代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「世界一幸福な国、デンマークで『自分だけの軸』を創る」banrisan.jpg


林 万理(はやし ばんり)
命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部4年生、ペンハーゲン大学経済学科に交換留学中


あなたは何をしている人ですか?
 初めて出会うデンマーク人に必ずと言って良いほど聞かれる質問だ。その次の質問で、『なぜそれをするの?』と聞かれるのである。留学を開始した昨年の夏には、この2つの問いに自信を持って答えることができない私がいた。なぜならば、自分が勉強していることについて、自信をもって語ることができなかったからである。


コペンハーゲンという都市で育む幸福感と自分だけの軸
 2015年の8月下旬より、私はコペンハーゲン大学の経済学部で交換留学している。コペンハーゲンはデンマークの首都であるが、人口は74万人と東京の5%程である。小さいながらも、街には音楽や芸術、様々な国から来た人々で溢れている。キャンパスで、デンマーク人のみならず、様々な国から留学に来ている友人との交流から、知的好奇心を掻き立てられ、彼らの多様なライフスタイルに触れることができる。それを観察することで、改めて自分自身のライフスタイルを様々な角度から見つめ直すようになった。

 日本にいた時、「非日常的で大きな出来事」で幸せを感じようとしていた。しかしながら、今は「日々の生活」の中で、小さなピースのように散りばめられた幸福を感じている。例えば、私はカメラを持ち写真を撮りに街に出ることや、ジムで汗を流すこと、素敵なカフェでコーヒーを飲んでいる時に、自分の感性が研ぎ澄まされ、たくさんの小さな幸せを感じるのである。このように、コペンハーゲンという都市で、心身共にリラックスし、自分のライフスタイルだけではなく、専門分野や将来のキャリアについての「自分だけの軸」を見つめ直すための環境をデザインすることができるようになった。


北欧研究所でのインターン
 コペンハーゲン大学以外に、デンマークでの私の活動拠点はもう1つある。それは、北欧研究所(Japanordic)である。コペンハーゲンに拠点を置き、北欧諸国に関する研究・コンサルティング機関で、私は昨年の9月から現在にかけて、ここで学生インターンをしている。

 北欧研究所の主な業務内容として、クライアントである日本企業から頂いた委託調査、視察支援、通訳・翻訳、レポート執筆、個人的な調査活動等であるが、そこでのインターン活動の一つの個人調査として、私はデンマーク人の幸福観について研究している。例えば、 デンマーク人の幸福観について、インタビュー活動を行い、記事を執筆した。インタビューという「対話」を通して、彼らの幸福観やキャリアについて考え方について話せたことは、それらに関する私の価値観に見つめ直す良い機会となった。


デンマーク人のギャップイヤー
 デンマークでは、高校卒業と大学進学の間に1~2年間のギャップイヤーを取ることが一般的である。例えば、彼らは、その期間、国内でアルバイトをした後、旅行や海外ボランティア等をする。私のデンマーク人の友人の中には、日本でワーキングホリデーをした者もいれば、語学学校で日本語を学んだ者もいた。

 デンマーク人は、特に明確な目標を持って、ギャップイヤーを取るわけではない。リラックスして、その期間の旅行やインターンシップを通して、自分が本当に学びたい学問や進みたいキャリアを見つけていく。そして、その中で彼らは、自身の思考や言動の源となる「自分だけの軸」を創り上げていくのである。


デンマーク人から学んだこと
 冒頭の質問に戻ろう。 『本当に勉強したいことは何?』、『なぜ、それを勉強するの?』、留学を開始してから、これら2つの質問を自問自答するプロセスにおいて、私は、いかに「自分だけの軸」を持つことが重要であるかに気づいた。

 それは、他者との無意味な比較から生まれるものではなく、自身の好きな物事に対する内発的・実存的動機によって生まれるものである。例えば、私の場合、幸福に関する自分なりの新たなアイデアを生み出した時に最も自分が生き生きとしている瞬間だと感じる。

 そして、自分が調査していることが自分の幸福観だけではなく、私の北欧研究所で執筆する記事を読んだ周囲の人々の幸福観にプラスの影響を及ぼすことに大きな喜びを感じる。自分と他人を比較し、劣等感や虚無感で暗い気分になるのではない。他者を気にせず、自分が本当に没頭できることを通して、人は大きな喜びやエネルギー生み出すことができるのである。だからこそ、「自分だけの軸を創る」、それが「幸福」へのステップだと、デンマーク人は私に教えてくれた。


プロフィール:
林 万理(はやし ばんり)
1993年生まれ。山口県出身。立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部4年生。2015年8月下旬より、コペンハーゲン大学経済学科に交換留学中。興味のある分野は、デンマーク人の幸福観、デンマークの社会福祉モデル。趣味は、フィットネスとカフェ巡り。
個人ブログHP(L!FE IS CRAZY): http://banrihayashi.com/
Twitter:@banrihayashi
北欧研究所HP:http://www.japanordic.com/

JGAP寄稿者短信:「"音楽のチカラ"を感じる夜、チェンナイ・チャリティーコンサートを開催!」


田島大基
Corporate Catalyst India勤務(インド地場大手会計事務所)


 「音楽のチカラ」は国籍も言語もあらゆるボーダーを超える、そう感じさせる夜だった。

 4月23日の土曜日の夜、インド・チェンナイ有数の音楽会場施設であるMusic Academyの小ホールにて日本のプロピアニスト碓井俊樹氏をインドに招待した「チェンナイ・チャリティーコンサート "The Power of Music"」が開催された。お世話になったインドへの感謝を込めて、私自身が企画運営を実施したイベントだった。

 碓井氏は既にデリー、グルガオン、ムンバイ、アーメダバードでピアノコンサートを実施していたが、私が住むチェンナイではまだ開催実績が無く、是非開催させていただきたいと碓井氏に相談させていただいたのが今年1月。単なるピアノコンサートではなく、自分の関心分野である国際協力と合わせ「チャリティー」コンサートとして企画した。入場は無料ながら会場には募金箱が設置され集まった寄付金は全額インドの障碍者支援に使用されるようにした。コンサートの熱気、興奮さめないうちに当日の様子をお伝えしたい。


 まずは後援名義を付与くださった在チェンナイ日本国総領事館より、深尾氏から開会の挨拶を頂いた。チェンナイという場で領事館の主催で様々な日印文化交流イベントが開催されている中で今回のコンサートの位置付けを語っていただいた。

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 続いてチェンナイ大手の障碍者支援NGOであるタミルナドゥ障碍者協会(The Spastics Society of Tamilnadu/SPASTN)のJayashree校長より同NGOの活動とインド障碍者支援に関してスピーチいただいた。ちなみに同NGOはプロピアニスト碓井俊樹氏がコンサート前日に施設の現地にてミニコンサートを行ったところだ。


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 写真の通り、チェンナイ日本商工会CSR連絡会が寄贈したキーボードを使用しての演奏だった。鍵盤の数も足りない、タッチも軽い、指も滑るというキーボードでプロピアニストの方に演奏を依頼するのは大変な無礼のところ、障碍者の子どもたちのため快く引き受けてくださった碓井氏の心意気に感動。

 Jayashree校長からも「普段はじっとできないことが多い子どもたちも熱心に聞き入っていた」との声を頂いた。初めて聴く本格クラシック音楽が子どもたちの耳にどう聞こえたのか、演奏を終えたあとの子どもたちの笑顔と拍手で感じることが出来た。

 尚、このミニコンサートの様子をFacebookに投稿したところ、碓井氏の知り合いからピアノの寄贈を障碍者支援NGOにしたいとの連絡が入ったとのこと。この幸運をコンサート当日に会場の方々に伝えると会場がどっと沸いた。

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 話は逸れたが、その後、コンサートの寄付先団体であるチェンナイの障碍者支援NGOの代表Sunder医師よりスピーチいただいた。Sunder医師は本業のリハビリテーション医師として平日は働きながら週末の時間を利用してパートタイムで障碍者への診察、障碍者への車椅子、松葉杖、義足などの寄贈を行っている。スピーチと共に同NGOが寄贈した義足で尊厳を持って力強く歩く障碍者のムービーが流された。

 「チャリティー」コンサートである以上、インド障碍者支援の活動紹介は企画して是非組み入れたいと当初から思っていた。音楽を楽しんでいただく以外に会場の方々へそうした活動の啓蒙となれば幸いだ。

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 いよいよコンサート演目が始まった。まず初めにインド障碍者アーティスト(Special Child Artists)によるインド伝統音楽のパフォーマンスがなされた。目が不自由な子どもたちは、インド伝統音楽の著名な歌手でもあるSunder医師の音楽指導を受けて本番に臨み、日本人の観客の方々に生のインド伝統音楽の演奏を披露した。

 ここで会場にサプライズ企画!インド障碍者アーティストのAkshayaさん、Srilekhaさんの2人により日本語の歌であるKiroroの「未来へ」が歌われた。私は僭越ながらピアノ伴奏を行った。

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 本当に感動的な時間だった。目が不自由ななか、難しい日本語の歌詞とメロディーを感情込めながら完璧に歌い上げていた。

 Sunder医師より障碍者アーティストに日本語の歌を歌わせたいと相談を受けたとき、何の曲にするか悩んだ結果、「未来への希望と親への感謝」が込められたこの曲を選んだ。毎週末、Sunder医師の自宅にて集合して練習を重ねた。
 お手本となる音源を送ってすぐの練習で完璧に仕上げてきて最初に聞いた時は涙が止まらなかった。自分は発音とタイミングを少し指導しただけ。目が不自由な2人は点字で書かれた歌詞を読みながら歌うが、その点字の紙がボロボロになるまで相当な努力をしたのはすぐに分かった。

 本番は感極まって司会であることを一瞬忘れるほど。観客席では涙を流している方もいた。まさに「音楽のチカラ」を彼女らは身をもって感じさせてくれた。

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 続いて、チェンナイ合唱部による日本の歌の合唱の披露がなされた。チェンナイ合唱部は2016年2月にチェンナイ日本商工会CSR連絡会のリーダーでもある黒木氏により発足。私自身もメンバーの一人でこのコンサートは初の公演だった。曲目はJudy and Maryの「Over Drive」とDreams Come Trueの「何度でも」の2曲。「何度でも」はピアノ伴奏もさせていただいた。

 終わったあとインド人の友人の多くから「Choirが素晴らしかった!」との感想を貰った。日本人からインド人へも「音楽のチカラ」が伝わったのだと思う。

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 休憩を挟み、待ちに待ったプロピアニスト碓井俊樹氏によるピアノリサイタルの時間に。。。

 最初の音から小さな会場全体を一気に碓井氏の音楽の世界へと包み込んだ。

 一曲目は、クラシックの名曲であるベートーベンのピアノソナタ第14番『月光』。続いて激しく壮麗なベートーベン・ピアノソナタ第21番『ヴァルトシュタイン』。

 そして、固めのクラシック曲に代わり、誰もが馴染みがある曲として、モーツァルトの『トルコ行進曲』と『きらきら星変奏曲』の披露。『きらきら星変奏曲』は『Twinkle, Twinkle, Little Star』としてインド人の方々の大半が知っている曲をもとに様々に変奏がなされるものでコンサート後にもインド人の友人から感想を頂いた。

 そして坂本龍一氏の『ブリッジ』。作曲家の坂本氏による同曲は、もともと楽譜が無く、同曲に感銘を受けた碓井氏が楽譜におこし、坂本氏から使用許可を得たもの。つまり世界で唯一、碓井氏しか楽譜を持っていない曲だ。繰り返されるメロディーはまるで宇宙空間を漂うかのようなリラックスした気持ちにさせるとインド人からコンサート後に聞いた。

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 碓井氏単独のアンコール曲・ショパン『革命』ののち、熊本九州地震で被災された方々を想ってインド障碍者アーティストAkshayaさん、Srilekhaさんが歌を歌い、碓井氏がピアノ伴奏を行う、日本の童謡「ふるさと」のパフォーマンス。コンサート当日のプログラムに歌詞を掲載し、会場の方々にも歌っていただき、音楽を通じた一体感に包まれた感動のフィナーレだった。自分自身、地震に対して何もできないことがもどかしい気持ちがしていたが、だからこそ目の前のコンサートを全力で準備し、想いだけは被災者の方々に寄せたいと思っていた。

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 コンサート演目は全て終了し、チェンナイ最大の日本語学校であるABK-AOTS同窓会タミルナドゥ―センターのRanga会長より、碓井氏へインド伝統文化の首輪式のプレゼントがなされた。この日本語学校はコンサート当日の朝に碓井氏も訪問し、インド人の生徒達の日本語能力の高さに感銘を受けていた。

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 そしてゲストスピーカーへは、インド障碍者アーティストのSuvedhaさんが描いたヒンドゥー教の神様の絵がプレゼントされた。Suvedhaさんは耳が不自由であり、会場の方々は拍手ではなく手を振って賛辞を伝えた。

 最後には主催団体CCIのチェンナイ代表Venkat氏より閉会の挨拶があり、チェンナイ・チャリティーコンサートは幕を閉じた。コンサート参加者は延べ164名。集まった寄付金は合計39,854ルピーで全額NGO Freedom Trustを通じてインド障碍者支援へ使用される。内訳は以下の通りである。

①耳の不自由な障碍者アーティストSuvedhaさんへの絵の作品料(6,000ルピー)
②目の不自由な障碍者アーティストの子どもたちへのコンサート出演料(8,000 ルピー)
③障碍者の方への1個の義足の寄贈(15,000ルピー)
④障碍者の方々への2個の車椅子の寄贈(11,000ルピー)

 インド人、日本人、国籍や言語などあらゆるボーダーを越えて、ただただ心の繋がりを感じる夜だった。「音楽のチカラ」が温かな気持ちにさせ、素晴らしい感動を呼んだのだと強く思う。司会をした私自身は冒頭「音楽のチカラで世界はもっと良くなる」とのメッセージを発した。夢物語ではなく本気でそう思っている。

(関連記事)
2014年1月31日付
No.179:「銀行辞めて、インドで現地採用として働く理由」(田島 大基さん、インド地場大手会計事務所勤務)-エッセイ集 フロンティア・フォーラム: http://japangap.jp/essay/2014/08/post-82.html

プロフィール:
田島大基
 東京大学経済学部卒。大学時代はモンゴル孤児支援NGOゆいまーるハミングバーズ(当時の名称)に参画し、子どもたち自身がモンゴル伝統音楽を披露するチャリティーコンサートを開催。開発経済学の澤田康幸教授のゼミを専攻。大学卒業後、三菱東京UFJ銀行に入行し国内の支社にて法人営業に従事。退職後、インド地場大手会計事務所Corporate Catalyst Indiaに現地採用として勤務し日系企業のインド進出、事業拡大に会計税務面から取り組んでいる。2015年9月米国公認会計士(USCPA)試験合格。2016年秋よりタフツ大学フレッチャースクール進学予定。

Facebook:https://www.facebook.com/daiki.tajima.921

「アメリカのリベラルアーツ・カレッジで私が思うこと」廣瀬さん写真.JPG


廣瀬 百合子
米国・ローレンス大学3年

「きみには考えがあるのか。時間の無駄だからここに座っている必要はない。」

 大学1年の1学期目の授業中。他の学生が居る前で、教授からこの言葉を浴びせられて、私の頭は真っ白になった。「アメリカの大学生活はどんなものなんだろう!」と期待に胸を膨らませて渡米した直後、まさかこんなことを言われるとは思ってもいなかった。

 小学生の時、どんなに努力してもなかなか目に見える結果が出せなかったあの頃、担任の先生からはいつも、「そのままこつこつ努力すれば、いつか必ず成果が出ますよ。」と面接の度に言われた。「いつか必ずって、いつなの?そのいつかって今来たっていいでしょ。」と、当時は思っていた。

 友人の多くは塾や家庭教師を利用していて、「塾に行けばいいじゃない。」「家庭教師だと家に来てくれるから時間節約でいいよ。」と言っていた。しかし、私にとって、それは逃げ道だった。「分からなければ、とりあえず塾に行けば何とかなる。」「学校の授業が分からなかったら塾に頼れば良い。」その考え方が嫌だった。

 一生懸命働いてくれている親のお陰で学校に通えているのに、そこを「所属しているだけ」と割り切って、塾や家庭教師に頼る...「勉強ってそんなもんじゃないでしょ?」と、いつも思っていた。「成績を伸ばす為には塾が必要だ。」そんな法則みたいな考え方がとても嫌で、「塾に行かなくたって出来る。」ということを証明したくて、高校卒業までずっとその思いで勉強してきた。そして、15 年間、どんな日も1日も欠席せずに毎日登校した。毎日の約10kg の通学カバンのせいで、肩が疲労性骨膜炎になった時も、貧血気味だった時も休まず登校し、学内でも学外でも、今しか出来ない色々なことに精一杯挑戦した。

 「ひたすら努力をすること」
それだけが私の取り柄だ。

「米国リベラルアーツ・カレッジという選択」林さん.jpeg

林裕太
米国・ローレンス大学1年


リベラルアーツ・カレッジとの出会い
 高校2年生の秋、ある出会いが僕の視野を大きく広げることになる。

 イギリスの大学に通っていた父親の知人。彼が日本の大学に行くという僕の前提を大きく覆した。「日本の大学に固執することなんて、ないんじゃない?」それは正に、"目からウロコ"の心境だった。そして"日本の大学以外"という選択肢を模索し始めた。そこで出会った"リベラルアーツ"という選択肢。最初耳に入った"リベラルアーツ"という単語は、今までの人生の中で一度も聞いたことがない、繰り返し心の中で唱えてみる。その事実が全てを物語っている。日本人にはまったく馴染みがないのだ。
しかし、「少人数制の授業、包括的な教養」という側面を学習することに重きを置く、そしてなにより小さい学校ゆえのこのアットホーム感こ、の全てが僕にとってのリベラルアーツの魅力だった。これが僕の希望と夢を一気に膨らませた。
 しかし、現実はそう簡単には動かない。


決断までの葛藤
 あまりこの進学を後押ししてくれる人がいない。所属高校の先生に相談したところ、「受験勉強をして、東大を受けてから考えたら?」。この言葉がひどく心に突き刺さった。しょうがない。この高校からリベラルアーツに行った生徒の前例・実績がまずない、これは先生の親切心なのだ。自分の中で無理やり論理をねじ込み納得させようと努めた。

 でもよく考えてみよう。人に反対されたくらいで諦められるものか?そんなことで諦めたくなかった僕は、両親を説得してまず日米併願を決意。出願までのプロセスは容易に片付けられたが、日本の大学との併願は可能だろうとたかをくくっていたが、想像を超える勉強量に、自分のキャパシティが追いつかず、高3の4月からリベラルアーツの出願に専念することにした。


リベラルアーツの授業は"高校の延長"?
 入学すると、皆が言っていた通りの少人数制の授業、家族のようなコミュニティ。キャンパスを歩けば何人に会釈をするのだろう。そんな知り合いばかりと受ける授業は、まるで"高校の延長"のようだ。この例えが一番適切。

 しかし授業は大変だ。毎回リーディングが課され、事前の準備をして授業に臨む。授業が終わったら、復習に取り組む。都会とは程遠い立地ゆえ、総合大学に比べ外界からの刺激が少なく、毎週こんな同じルーティーンを繰り返している。でもこんなことから得られるものもあると気づいた。言葉で表すのは難しい。でも先々週と比べて少し、成長した?と感じることは少なくない。それに多様な分野の授業をフレキシブルに受けられるというリベラルアーツならではの特権は、僕の好奇心を刺激し、無数の可能性を与えてくれている。


リベラルアーツ・カレッジを選択して
 日本人が知らないから就職は厳しくなってしまうのでは?耳にタコができるほど聞いたこの問いかけ。確かに総合大学に通う友人をみて、少し彼らに引けを感じているのは否めない。

 でもここで"グッ"とこらえて、今の"自分"を信じてみようではないか。このリベラルアーツの理念は僕に無限大の可能性を与えてくれている。この環境で成長できると思える自分に自信を持たないと。結局は自分探しの旅など存在しないのだから。

 そして覚えておいて欲しい。地球の反対側の小さな学校で、自分の可能性を探っている日本人学生が少なからずいることを。そしてこの経験をしている僕たちが主体になって、その経験を次世代に伝えていかなければ。そんな義務感と心が躍るようなワクワク感を感じる。他の皆さんもそうではないだろうか。

 その遠い日本とアメリカの距離をどうにかして繋げないか、そんな思いから開設したブログやこの寄稿。
 慎重に踏まなければならない道は、世の中にたくさんある。しかし、勇気を振り絞り足を一歩前に踏み出し、与えられた環境の中で選択を正解にしていくことも大切なのではないだろうか。僕はリベラルアーツを選択した先輩として、そのような意志を持ったこれからの高校生の意気を本当に尊重したい。


プロフィール:
林裕太
1996年生まれ
公立小学校を経て、東京港区の芝中学・高等学校に在籍。高校2年生の秋にアメリアの大学の選択肢に気づき、日米併願を始める。そして、高3の4月にアメリカの大学の出願に絞る。同校を卒業後、アメリカのウィスコンシン州にあるリベラルアーツ・カレッジのローレンス大学に入学。

リンク先:
Japanese Lawrentians: https://www.facebook.com/Japanese-Lawrentians-492235757609961/?ref=aymt_homepage_panel
個人ブログ:http://www.agos.co.jp/news/report/hayashi/
個人FB:https://www.facebook.com/yutaponta.go.piano


【JGAP年末イベント告知】
12/17(木)18:30~ JGAP寄稿者トーク・イベント@銀座 「4年目社員、アフリカへ〜2年間のギャップイヤーでの収穫とコンゴ・メロンパン・フェスティバル報告」参加者募集(20名、資料費・飲料込:500円)-日本ギャップイヤー推進機構協会(JGAP) http://japangap.jp/info/2015/12/12171830jgap-4220500.html

「人と違うやりたいことをやる時の少し"しんどいこと"とその対策」(高木昭博さん、セームページリミテッド社長)高木さん.jpg


自分のやりたいことをやった時の失敗談やリスクを書く理由
 疲れで歯が2本ほど抜けそうなので、歯医者へ行ったら、アメリカ出張中に仮歯が取れるから、とりあえずキープしましょうということになった、高木昭博 33歳です。

バングラデシュと日本で2012年に法人設立して、IT企業の代表を務めさせて頂いてます。


さて、僕自身が書けるもの、そして大学生で進路を考えている人にとって役立つものは何かと考えました。


僕は、今までの人生でおおむね自分のやりたいことをしてきました。

今回は、その中で感じた"しんどいこと"を書くことで、読者の皆さんのお役に立てると思ったので、自分のやりたいことをやった時の失敗談やリスクを書くことに決めました。


そう決めた理由は、3点あります。

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