代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「打ちのめされに行こう!」0408藤本政信さん写真.jpg

藤本政信(留学コンサルタント)

2007年、私は32歳でカナダのトロント大学にMBA留学しました。
留学を終えて5年近くになりますが、留学に至る道、現地で経験したこと、すべてが今の私にとてつもなく大きな影響を及ぼしています。

留学した人の思い出と言えば、「楽しかった」思い出を聞くことが多いと思いますので、ここではあえてあまり語られることのない「打ちのめされる経験」について書いてみたいと思います。

海外留学、特に大学や大学院への正規留学においては様々な機会で困難が降りかかってきます。そこで多くの人が「打ちのめされる」わけです。
だから海外留学は大変だよー、と言いたいのではなく、むしろ「打ちのめされる経験」があるからこそ、海外留学は最高だ!ということをお伝えしたいと思います。


Find what makes you yourself北嶋友香さん写真.jpg

北嶋友香
(米国インディアナ州・デポー大学 1年生)


 日本社会というものが、大嫌いだった。ついになじめず、自分のアイデンティティーがわからなくなり、中高はインターナショナルスクール(注1) へ。個人の良い部分も悪い部分も全て愛してくれるこの楽園から大学に放り出されたときにわたしはどうなってしまうのだろう、とふと不安が頭をよぎった。そんなとき、アメリカ大学進学という選択肢に出会った。既に進学していた先輩たちから聞く学校生活はきらきらしていて素敵だった。話す度にどんどん人間として格好良くなっていく彼らの背中を押しているものに憧れた。有名国立大学進学を願っていた父と話し合いを重ね、ようやく進学の了承を得た。周りが順調に進学先を決めるなか、焦燥感にかられ、みじめになりながら必死で勉強し、卒業式の2日後にやっと最初の合格通知を貰った。3ヶ月間某企業で働き、そして8月に渡米。

「誰かのためではなく、あの人・あの土地のために~僕らが公園を造れたワケ」日高1.jpeg

日高 雅人
(明治大学在学中 きずなInternational 2代目代表)

 3.11東日本大震災から今日で3年目。3年前のあの時に感じた恐怖、不安は今も決して消えない。そして、決してあの未曾有の出来事を風化させてはいけない。今一度黙祷し、犠牲になられた方々に対し、深くお悔やみ申し上げます。そして、被災された皆様に対し、心よりお見舞いを申し上げます。

 震災後、少しでも早く現場で力になれることがしたいと思っていました。しかし、余震が続く不安と自分が現地に行き、果たして何ができるのかばかりを考え、なかなか現地に行くことができませんでした。そして、ようやく多大な被害を受けた石巻に足を運んだのが震災から3ヶ月後のこと。テレビで見てきた映像を自分の目で見て、「本当に地震、津波がこの町を襲った」と再認識するとともに、自分はここで逃げてはいけない、これからもここに来続けなくてはいけないと感じました。

 私が現場に足を運ぶきっかけとなったのが、現在大学の公認団体である「きずなInternational」でした。同級生の友人から石巻でのボランティアに誘われ、行くことを決意しました。参加後、継続的な活動の必要性を強く感じ、私はこの団体とともに東北に力を注ぐことを決めました。定期的に現地に行くことによって、現地でいま何が必要とされているのか、住民の方々は何に困っているのかを把握し、活動してきました。

「ボンクラが世界へ挑む~タイに招かれたサムライ~」久田泰士 写真 タイ留学.jpgのサムネール画像

久田 泰士
カセサート大学 工学部産業工学科修士課程


なぜ、タイの大学院なのか!?
 「泰」という字はタイ国を意味し、「士」という字はサムライを意味する。僕の名前は泰士。まさにタイで生きるジャパニーズサムライなのだ。そんな勘違いからタイ留学を決意した。タイは本当に笑顔が溢れる素敵な国である。毎朝、変てこなラジオ体操を踊るおばちゃんの奇声が僕の部屋の目覚まし時計である。まぁ、スッキリしない目覚めである。

 小春日が差し込む季節、当時大学生だった僕は、いつものように大学内をふらふら歩いていた。何気なく向かった場所で、僕のタイ留学は始まった。偶然、いや、運命の出会いだった。とてもユーモアな先生に出会ってしまったのだ。就職活動がいよいよ本格化する時期に、国際感覚を持ったその先生は僕にタイ留学を勧めてくれた。目的は英語留学で、あわよくばタイ語を含めたトリリンガル。日本はもう駄目だから、もう片方の足をタイの地に着きなさいと言われた。僕はその話を聞いた翌日に留学することを伝えた。海外という未知の世界は確かに魅力的で、僕の好奇心を掻き立てた。世界へのドアを開けることでワクワクする冒険が始まるが、その反動の大きさが頭を過ぎる。不安はあったが、考えたって何も始まらない。僕はその扉を力強く開けた。

 カセサート大学大学院へは、推薦によって入学した。工学部産業工学科(略称:IE)、今迄勉強してきた機械工学とは大きく異なる。タイへ降り立った当初、何もかも分からず、知り合いのタイ人に大変お世話になった。タイ人は酔っ払いを除きお世話好きだ。僕はIEのインターナショナルコースに入学したのだが、留学生は僕を含めて10人中、たったの2人。このコースに留学生がいること自体、珍しいと言われた。授業形式は欧米式で、問題を生徒に投げかけディスカッションをし、企画・仮説を立てるというのが一般的だ。


「今、伝えたいこと。~東南アジアスケボー横断~」1月31日写真.jpg


狭間純平
一橋大学法学部2年
 


‐僕は一人、異国のこの地、東南アジアで大草原の中をひたすら滑走している。目の前に広がる大きな道。その道の脇には今まで見たこともないような大自然と青い空が広がっている。風を切ってまっすぐ進むと、雲一つない青空に溶け込むような気持ちになる。しばらくすると、遠くに小さな街が見えてきた。どんな人がいるのか?ワクワクしながら進むと、ポツリポツリと街の住民たちにすれ違う。スケボーに乗った僕は珍しいのか、みんな笑いながら大きく手を振ってくる。子供たちも笑顔で走って追いかけてくる。思わず僕も、ふっと笑みがこぼれた。そして再び、前を向いて進む。風を切って進む!そうだ、この感じだ!胸がドキドキする!!! ‐

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