代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「私が、突然カンボジアで養豚をはじめたワケ」山田さん写真shiori_yamada.jpg

山田史織(SMILEJP Co.,Ltd. ※カンボジアの養豚ガール)

 私は、昨年2012年7月からカンボジアで養豚をはじめました。日本では普通のOL経験のみ、そして英語も現地語もできなければ、養豚経験もない――。ないもの尽くしで、カンボジアに飛び込みました。


■海外との出会い
 初海外は2010年。社員旅行で韓国を訪れたときでした。アジアの活気あふれる2泊3日は、あっという間に過ぎていきました。
それから、特に海外との接点はなかったのですが、その後、好きな人が海外に転勤。(笑)
その彼を追って、海外に行く機会が増えました(笑)。

 彼からは、海外で働く楽しさをたくさん教えてもらいました。彼の苦労話が、とてもエキサイティングで(笑)、「私も、いつか、海外で働いてみたいな‥‥」と、海外への憧れが膨らんでいきました。

 「いつか‥‥」と願望を抱いて1年が経ち、2年が経ち‥‥と、時が経過するごとに、「このままでいいのかな」と思い始めました。目の前の仕事はとても楽しく充実していたのですが、モヤモヤした気持ちがずっと心の奥にありました。


■カンボジア・養豚との出会い~ "彼らと一緒に"未来を描きたい!
 その後、「やっぱり海外に挑戦したい!」と、会社を退職。アジアを一人旅しました。タイ・フィリピン・カンボジア・マレーシアをまわり、帰国後、海外に挑戦したい気持ちが大きくなり、進路を模索する毎日。そんなとき、今一緒に会社を経営している岩崎と再会しました。前職の時からお世話になっていて、岩崎がカンボジアで養豚をやっていることも知っていました。その後、2度目のカンボジア訪問。岩崎の会社SMILEJPの豚舎を見学し、養豚という仕事に出会いました。

 日本では、スーパーマーケットに行けば、簡単に買うことができた豚肉。私は、どうやって作られているかも、生産者の苦労も、全く知りませんでした。そして、この国では、お肉は、まだ貴重な存在で、村の子どもたちの体が細くて小さいことに驚きました。
また、ここで働くカンボジア人のスタッフたちの楽しそうな生き方に惹かれました。日本と比べたら、ないものだらけで、決して豊かとはいえない環境で、とても楽しそうに働いていました。不思議な感覚になると同時に、彼らと一緒に未来を描きたいと思いました。5年後、10年後、この国はどんな風になっているんだろう......。そして、その未来に携わることができたら、どんなに楽しいだろう......と。


■カンボジアに移住を決めた時
 とても魅力的な国、カンボジア。そして、目の前に現れた「養豚」という仕事。これから世界的に大きな問題となる「食」という仕事に興味を持ちました。

 しかしながら、今の私ができることは何もない‥‥。
そこで、「1年間ぐらい、日本の養豚農家で修行をしてく るので、来年一緒にやらせてくれませんか?」と、岩崎に相談しました。すると、岩崎から、「人生で大切なことは、これだ!と"感じた"ときに、一気に飛び込む勇気だ」と言われ、2時間で移住を決意。それから怒涛の移住準備を済ませ、2週間後カンボジアに住み始めました。


■カンボジアに移住してみて
 あの時、カンボジアに飛び込んでよかったと思います。
最初は、できないことばかりで、自分の不甲斐なさが悔しくて毎日泣いてばかりいましたが、たくさんの方に助けていただいて、なんとか今に至っています。
 カンボジアを知れば知るほど、頑張りたい理由が増えていきました。いつもサポートしてくれるカンボジア人スタッフ、そして彼らの家族、守るべきものがたくさんあります。飛び込んでしまうと、何とかするしかない"のです。
今は、自分自身がもっと力をつけて、お世話になった方々へ早く恩返しができるように、頑張ります。

 そして、「あの子ができたのなら、私にもできるハズ!」と、いつか誰かに挑戦する勇気を届けられたらいいな、と思います。


プロフィール
山田史織(カンボジアの養豚ガール)
ブログ:http://www.smilejp.asia/blog/
Twitter: @Shiori_Yamada
Facebook: http://www.facebook.com/shiori.yamada1

「今日が、人生最後の日だとしたら、あなたは今日と同じ日を生きたいですか」八田さん写真.png

八田飛鳥(インドで起業準備中)

 私は、あの日を境に「この問い」を大切にして生きていこうと決めました。
これは、スタンフォード大学でアップル創設者のスティーブ・ジョブスが行った伝説的なスピーチの中で話したものです。
1年半前、久しぶりにそのスピーチを聞いた私は、聞き終わった後に何かが引っかかる感覚がありました。この感覚が何なのかすぐにはわからず、ただ、このジョブズの問いが心の中で、現れてはまた消えていく。そんな繰り返しの日々が続きました。

 当時の私は、都内の起業家支援をしている会社で働いていました。
夜は遅い日が続いたけど、仕事は楽しかったし、会社も好きでした。仕事を通じて、たくさんの素敵な人との出逢いもありました。

 ある朝、ふと玄関の鏡越しの自分に聞いてみました。しかし、どうしてもあの問いに「yes」と心から答えることが出来ない自分がいたのです。


「海外を旅し、世界を知り、日本を外から見ることの大切さ」小山修平.jpg


小山 修平(24歳)
eConnect Japan(株) 代表取締役


  私は20歳で高等専門学校を卒業後、海外に住んだり、日本に帰ってきて仕事をしたり、また海外に行ったり、という数年を過ごしました。2012年からは訪日観光客を対象とする通信分野のインバウンド事業で起業し、今に至ります。

 旅行というか"旅"は心底好きで、子供の頃から親に連れて行ってもらっていましたし、学生時代にもちょこちょこ一人旅を、卒業してからもほぼ毎年どこかへ行っており、24歳のいま現在訪れた国は全部で27カ国。海外での生活経験は、2008年オーストラリアに約1年、2011年スイスに半年です。


「経営コンサルタント辞めて、ベトナムで"パティシエ見習い"になったワケ」荒島さん.jpg


荒島 由也
Star Kitchen Inc.(ホーチミン在住)


「転身」
 私は、現在ベトナム・ホーチミンにてクッキングスクールの創業準備をしている。
大学を卒業し、外資系コンサルティング会社に入社。以来5年間はスーツを身にまとい、クライアントと一緒に汗を流した。

ところが、いまはベトナムにてエプロンを身にまとい、ボウルに入った材料を必死にかき混ぜる。部屋にこもるオーブンの熱で汗を流し、お客様の喜ぶケーキを研究。

元々、料理・お菓子業界に縁があったわけでもなければ、それどころか料理は全くしない人間だったので、無謀ともいえるキャリア・チェンジかもしれない。


「違和感」
 元々ベトナムに来たのはソーシャル・ベンチャーを支援するプロジェクト(*1)を立ち上げるためだった。学生時代は社会起業を専攻し、マイクロファイナンスをバングラデシュで学んだ。経営コンサルを志望した理由も、社会起業の分野で将来何かするために経験を積むためだったので、社会人経験を5年経て原体験に戻ったということになる。

 プロジェクトを推進する中で、数十人のソーシャル・ベンチャー経営者と直接議論をする機会があった。そこで痛感したことがある。

「自分の語っていることは迫力がない」

 経営コンサルタントしての経験を活かし、ソーシャル・ベンチャー経営者にアドバイスをするわけだが、つくづく自分の甘さを痛感した。たった一人でやっている経営者だろうと、100人スタッフがいる経営者だろうと、やはり当事者として背負っているものが違う。特に社会的なミッションを背負っているから、一段と重い。

「じゃ、あなた自分でやったことあるの?」 

 そう問われているような気がした。外野で、あれこれ客観的にいう存在は重要だし、否定するつもりはないが、そういった負い目というか、違和感が自分の中で大きくなっていくのを感じた。

「ソーシャルとか社会貢献とか語る前に、まずは自分が経営者として成長しなければ」

そういった想いから、昔から自分で事業をやってみたかったのも相まって、起業を決意した。


「バブルに飛び込め」
 起業を決意したはいいが、何をやるかは決まっていなかった。

 他を圧倒できるほどのサービス・プロダクトを持っていない私は迷わず、今後成長余力のある市場を選択した。要するに経済がバブルを迎えるマーケットで軒先を構えていれば、成功確率は圧倒的に高いと考えたからだ。

 まずグローバルにみれば、今後10年は人口・市場成長率からアジアが魅力的だと判断。次に成長余力と新規参入障壁の観点からタイをのぞくメコン圏諸国を選択。後は実際に足を運んで、自分の肌で感じ取った感覚からベトナムを選択した。ラオス・ミャンマーも面白いかなと思ったが、まだ国内市場で何かを売っていくには早いかなという印象だった。

と、ロジカルに説明しなくてもベトナム・ホーチミンに住めばその勢いは体感できると思う。次々と建設される大型ショッピングモール、マンション、そして人々の消費意欲。

ここで勝負がしたい、そう思うようになった。


「Star Kitchen 創業」
 2ヶ月住んで、気がついたのはエンターテイメントの少なさ。特に「自分磨き」をするような趣味分野のサービスが未発達であると感じ、2週間ほどの調査を実施。

 結果クッキングスクールにチャンスを見いだしたので、その分野に決めた。また調査から「スイーツ」に対するニーズが高そうだったので、まずはスイーツを教えることにした。

「そんなに簡単に決めていいの?」と思う方もいるかもしれない。

 しかしここはベトナム。自分には馴染みもなく、予想もつかないマーケット。そのマーケットで成功確率をできるだけ上げるには、最短でサービスのプロトタイプ(試作)を作って、そこから試行錯誤していくのがいい。そう判断した。

名前はStar Kitchen。

  料理を通して家族と友人と、そして自分自身と「楽しくて輝く時間」が多く生まれるような、そんな新しいライフスタイルを提案したい。

 チャレンジはまだ始まったばかりである。経営者として力をつけつつ、ゆくゆくはソーシャル・ベンチャー支援にも力を入れたい。

 とはいえ、まずはクッキングスクール経営者として目の前のケーキを焼けるようになることが最優先事項である。

(*1)Cross-border Incubation Platform http://www.habataku.co.jp/wakyo/top.html


プロフィール
荒島 由也 (Yuya Arashima)
慶應義塾大学卒業後、IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社(現IBM)に入社。一貫してクライアントの業務変革戦略立案・実行支援を行うとともに、社内でNPOへのプロボノサービスプログラム立上げにも従事。

現在はベトナム・ホーチミンでStar Kitchenを創業。駆け出しパティシエ見習いとして日々奮闘中。

Weblog: http://blog.livedoor.jp/starkitchen/
Facebook:https://www.facebook.com/yuya.arashima


比留川さんCool Japan写真.jpg「ベトナムの"世界遺産の街"ホイアンでお土産屋さんを開く」


比留川 由希
Cool Japan in Hoi An 店長


きっかけ
 初めは将来海外で働こうとは全く考えていませんでした。ただ、色々な生き方について関心があり、学生時代も、様々な人生(人)を高校生に紹介するNPOで手伝いをしていました。

 私が海外で働くことを考えたのは、社会人4年目のある時、「海外で働く」というテーマのイベントがあり、会社でもなく、単独で海外で活動している若者がいることを知ったことがきっかけでした。彼らの生き方は、知れば知るほど面白そうでした。ベトナムと日本を行ったり来たりしている人たちが、何故か生き生きしているように見えたのです。


ベトナム生活を決断するまで
 海外に関心を持った私は、5日間のベトナム中部(ホイアン)旅行、その後2週間のホイアン現地調査に行きました。
それらの調査を経て感じたことは、「人とのつながり」「エネルギー(活気)」「街と人のあたたかさ」といったようなものがベトナムにはあふれているということでした。 ベトナムを拠点に、日本ではあまり感じられなかったものを日本にも届けたいと考えました。また、私自身が異なる考え方に触れることで、「こうでなければいけない」という、多くの日本人の行動を制限させている"思い込み"に気付き、自分が変わって、それらをなくしたいとも思いました。

 また、それまで様々な生き方の調査やレポートすることにも関心がありましたが、周辺に女性で海外に単身で行った人があまりいなかったこともあり、自分でそういうケースを作りたいという気持ちがこの調査以降、日に日に強くなりました。

 最終的な決め手は、過去一度も海外で生活したことがなかったので、「とにかく行ってみよう!」と"思い切った"感じでした。


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