代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「青年海外協力隊のススメ~商社勤務3年半後の転進」JICA中川さんJgap写真.jpgのサムネール画像


中川 広海 Hiromi Nakagawa
JICA青年海外協力隊 H22年度4次隊
ウガンダ共和国派遣 村落開発普及員
RUCID(有機農業NGO ミティアナ県)配属


自己紹介 私はJICA青年海外協力隊 村落開発普及員として、東アフリカのウガンダ共和国で活動中です。現地では有機農業NGO(RUCID)の職員として、配属先近郊の農家(約100世帯)を対象とした有機農業の巡回指導や、農家グループ7件(5~25名/組)の収入向上活動(例:換金作物栽培、家畜飼育、植林)支援に取り組んでいます。将来は仕事として国際協力に関わりたく、来秋より英国の大学院修士課程に進学予定です。

「失敗や間違いが怖いアナタヘ
〜中学からのNGO活動、留学、そして世界一周中〜」
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松井鈴果 Suzuka Matsui
早稲田大学政治経済学部3年(American Universityに交換留学後、世界一周中)


Ask, and it will be given to you.
 何か新しいことにチャレンジする時、周囲の目を恐れたことはないだろうか。私はいつも、周りからどう思われるか、失敗したらどうしよう、と考え躊躇してしまうタイプの人間だった。そんな私がここで書きたいこと、それは、「それでも、興味があることはまずチャレンジ」のススメである。
 至ってシンプルなことだが、この姿勢が、中学からのNGO活動、米国交換留学、世界一周など、これまでの私の軌跡につながる。


女子中学生がフィリピンのスラム街へ
 最初の大きなチャレンジは、中学生の時、途上国支援系NGOの門を叩いたことだと記憶している。幼い頃から世界の貧困に強い関心があったが、何かしたいとの思いをずっと形にできすウズウズしていた。ネットで見つけたNGO(※1)は「こども主体」。これしかないと思い、まだ控えめだった当時の私もありったけの勇気を振り絞って問い合わせを出すことができた。この時の緊張感は忘れられない。
 その後フィリピンの貧困地域を訪れ、15歳の私は様々な問題を抱える同年代の子どもに出会った。帰国後はスピーカーとしても活動、支援イベント企画など、次々と思いもしない機会が舞い込んできた。この経験から、一つのチャレンジがもたらす可能性の大きさを知り、チャレンジを心がけるようになった。


「米国留学、国際NGOインターンを経て、バングラデシュ~国境なきコミュニティデザイナーを目指している私」加藤遙平さんProfile_Pic.jpg


加藤遥平(筑波大学5年)

転機は17歳
 高校時代に陸上競技に没頭していた私は、偶然手にした本から「発展途上国の存在」を知った。
「生まれた場所が違うだけで、機会や可能性がこんなに限られてしまうのはなぜ?」
そんな疑問を持った私は「国際協力」に漠然と興味を持ち始めた。


11ヵ月間の留学
 「本場で開発学を学びたい」「新しい世界を経験したい」
大学入学当初から留学に行きたかった私は、 2010年夏にアメリカへ飛んだ。

 提携留学先のカリフォルニア大学デーヴィス校では、膨大な課題、ディスカッション、グループワーク中心の授業に悪戦苦闘しながらも、教授、TA(ティーティング・アシスタント)、友人と多くの人々に支えられて乗り切ることができた。

 特に印象に残っているのが、フィールドワークで何度も訪れた貧困に苦しむコミュニティだ。
「なんでアンダーソン・クーパーはここに来ないんだ?!」
それは、世界中を飛び回るCNNの名物ジャーナリストを皮肉ったクラスメイトの発言だった。
そして、「貧困や格差は途上国だけの問題ではない」と気付かされた瞬間だった。


profile-photo.jpg「ケニアでPCを教える日常で想うこと」


望月 学
JICA青年海外協力隊 ※ケニア共和国 派遣中


ある日のケニアの"日常"
 コンピュータの修理実習、1台のPCを10人程の生徒が群がり、分解・組立を行っている。しかしそのPC、元々壊れていて動かない。また基本的なPCパーツや修理工具も、学校が用意できないので苦肉の策でプリントを見せて説明する。教室は4畳半程、そこで学生相手に講義をするが全生徒分に椅子・机もあるわけではなく、中には長机の上に座って授業を受けている者もいる。日本の学校や講習だと、普通そんなことはありえない。が、ケニアの、それも地方の専門学校だと、これが日常の光景となる。ところ変われば、常識も変わるということだ。


ここで、何ができるんだろう・・・
僕は今、青年海外協力隊員として、ケニアの西部、ウェスタン州カカメガ近郊にある技術専門学校でコンピュータを教えている。ここで、コンピュータのハードウェアを中心として学生相手に授業を行っている。しかし、上述のように設備、環境共に日本に比べたらはるかに劣るような中で、いったい自分は彼らに何が残せるのだろうかと模索する毎日を送っている。


日本の"当たり前の日常"は、当たり前でないことを実感
 ケニアでは貧富の格差が大きい。首都ナイロビでは、ベンツ、BMWといったヨーロッパ車が走り回っている高級住宅街がある一方、1日数ドルで暮らしている世界最大級のスラムも存在している。また地方に目を移してみると、電気は商店と地元の盟主の家だけ、水は共同井戸から汲んでくる、そんな田舎の集落もまだいくらでもある。ここでは、日本でのいつもの生活が、決して地球上どこでも同じようにはできないのだということを、ごく普通に教えてくれる。そのことを頭で想像するのと実際に体験するのでは、やはり心に染み入ってくる理解が明らかに違う。水道の蛇口から水が出る、今日一日停電しなかった、日本で暮らしていると、何バカ言ってんだ、と思うような出来事が、ここでは心底有り難く思えてくる。途上国を訪れると、多くの日本人は日本という国の素晴らしい点を、改めて様々な点から気づかせてくれるはずだ。


さまざまな"人"の交錯(こうさく)を感じる日々
 当地ケニアでボランティアをする前は、「途上国で暮らす貧しい人達」、「社会的弱者に追いやられている人達」、そういった人々をひとまとめにして"可哀想な"人達とステレオタイプのように思い込んでいた。しかし実際ケニアで暮らしてみると、完全にその考え方が壊され、彼らに対する見方が変わった。ここで暮らしていると、途上国の人達というスコープでしか見ていなかった彼らも、日々の生活を営んでいるわけで、その生活の暮らし方や生き方、考え方は千差万別である。正直者で誰に対しても善良な人、隙(すき)あらば金を掠めてやろうとする人、与えられた仕事を一生懸命にこなそうとする人、仕事をさぼってばかりの人、僕の周りには様々な人々がいる。

 また少ない収入の中、子供の将来の就学のためになけなしのお金を貯金をしている人もいれば、アルコールに使ってしまう大人もいる。本当に当たり前のことだが、彼らもこの土地で日常を営んでいるわけで、そこには、「貧しい」とか「弱い」というフィルターをかける前に、一人一人、人間としてのありのままの姿を見ることができる。実際に自分の足でその土地で暮らしていく、そこで途上国の現実と日常とを体験として会得(えとく)する。そういうことを踏まえて、「途上国開発とは」、「ボランティアとは」、ということを深く考えさせられている。いつか日本で暮らしている人々に、その体験の雫(しずく)をおすそ分けする、そんなことができればなと思う。


JICAボランティアはユニークなギャップイヤーの選択肢
 最後に、どのようなギャップイヤーを送るかだ。選択肢は多種多様に枝分かれをしているが、海外、特に途上国というまったく異質な世界に飛び込んでみるのはお勧めだ。その中でもJICAボランティアとしてギャップイヤーを過ごすということは、現地で生活をしてローカルの人々と一緒に仕事をすることと同義になる。深く海外を見聞してみたいという人達に、旅行者の視点、転勤で海外赴任する者の視点、その両者とも異なる、JICAボランティアでしか味わえない特別な視点を与えてくれるであろう。


プロフィール
名前:望月 学
ブログ:ケニア、種を蒔く http://tanewomaku.exblog.jp/
ツイッター:@modulenightowl
フェイスブック:http://www.facebook.com/gakum1

略歴:
早稲田大学理工学部、同大学院理工学研究科卒 コンパックコンピュータ株式会社(現日本ヒューレット・パッカード株式会社)に入社。その後、システム開発会社、ワーキングホリデー等を経て、JICAボランティア(青年海外協力隊)に参加。

宮川祐司さん写真.jpg「やりたいことは全部やれ!~"休学"せずに1年の大半を海外で過ごせるワケ」


宮川 裕司 
BBT大学経営学部3年


普通の高校生活
 高校は都立西高校で、卒業生の半分以上は、いわゆる人気の大学に進学する高校である。そのような環境の中にいたこともあり、何の疑いもなく受験勉強をしていた。結果的に第一志望の大学には合格できなかったが、慶應大学や横浜国立大学などに合格。ここまでは、世間的に見れば割と良い道を歩いていたかもしれない・・・この後方向転換をすることになる。


短かった横浜国立大学時代
横浜国立大学経営学部に入学。特別大きな目的があって経営学部に入ったわけではなかったが、漠然と経営というものに興味を持っていた。入学時は大学の授業に大きな期待を寄せていたのだが、入学後わずか1か月で失望してしまった。面白くない授業、単位を取ることが自己目的の学生達、1時間半もかかる通学。この生活を4年間続けるのは無理だと感じた。意義が見出せないことはとことん拒絶する性格なので、入学して早々退学を意識し始めることとなる。そこで見つけたのが「BBT大学開校」の知らせである。


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