代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「失敗だらけの経験から見えてきたこと~バングラデシュの職人さんと創作する女性の夢を応援する手帳プロジェクト」遠藤さん写真.jpg


※Japanese followed by English

遠藤ちひろ
(慶應義塾大学総合政策学部4年生)
手帳プロジェクトSHOPNO GHOR代表


自分のタコつぼを抜け出すことから始まったギャップイヤー
 2011年3月―――
私は明確な目的もインターン先も滞在先も、滞在期間も決めないまま鞄一つでアジア最貧国バングラデシュに身をドライブさせました。決めていたことはただ一つ。それは、今まで私が所属していた学生団体、人脈、環境を離れ、全てのタコつぼから抜けた時、「遠藤ちひろ」で何ができるか、どこまでできるか、自分の力を最大限試す機会を自ら作るというルールでした。それはまさに社会が敷いたレールから外れて、自分で新しい生き方を模索するギャップイヤーという道を選んだ瞬間でした。


ダッカ郊外での農村女性との出会い
 全ての状態をゼロにリセットした私は自分に制限をかけずに、心の赴くまま、ダッカ大学の授業を受けたり、日系企業でインターンしたりと、バングラデシュではありとあらゆることに挑戦しました。そしてたまたま友人の誘いで訪れたダッカ郊外の農村で、私はある人物と運命的な出会いをしました。
 それはバングラデシュの農村地域に住む女性たちです。彼女たちは日本にいた時のイメージからは想像できないほど、エネルギーに満ち溢れていて、強くてたくましい女性たちでした。日本の女性よりも何倍も過酷な環境で生まれ育ったにも関わらず、活き活きと生きている彼女たち。その姿を見て、「女性としての本当の幸せな生き方とは何か」を考えさせられたと同時に、「もっともっとアジアの女性が活き活きと活動できる社会を作りたい!」という思いが強くなりました。この出会いが、のちの「女性の夢を応援する手帳」をバングラデシュの職人さんと作るプロジェクトを立ち上げる経緯に至りました。それは同時に、幼い頃からずっといじめられっ子だった弱い自分に"さよなら"をする瞬間でもありました。


「ブータンで幸せの意味を考える1年~リスクは自分への投資」高橋孝郎さん写真.JPGのサムネール画像


髙橋孝郎
(ブータン政府2代目首相フェロー) 


30歳目前で迎えたギャップイヤー
 僕は今ブータン政府の首相フェローとして働いています。首相フェローとは、ブータン政府の役人として、専門知識を生かしながら1年間ブータンの発展に貢献するというプログラムです。「首相フェロー」と言うと聞こえはいいのですが、待遇はブータンの国家公務員なので月給は2万円。生活費を考えると、ほぼボランティアです。30歳目前の時期にこの待遇でブータンに飛び込んだことは、まさにギャップイヤーにあたるのかもしれません。リスクの高い決断だと見る向きもあるでしょう。実際に親には「その給料で将来設計が成り立つのか」と心配されました。


"リスクは自分への投資"と考えればリスクではなくなる
 僕はこれまでのキャリアの中で、客観的に見るとリスクの高い決断をいくつかしてきました。前職で経営コンサルティング会社のマッキンゼーに勤めていたとき、入社2年目にドイツオフィスに転勤したのですが、当初は1年間の予定でした。しかし海外で様々な国の人々と共に働く面白さに魅入られたため、ドイツオフィスに残る方法を模索。結果、雇用契約を日本オフィスからドイツオフィスに変えることにしました。つまり、「転籍」です。前例がなく、帰国子女でもない僕には勇気の要る決断でしたが、結果的に海外勤務を長く経験することで得た英語力や人脈は大変大きいものでした。

 次の決断は、マッキンゼーを辞めて自費留学で国際関係の大学院に行くことを決めたことです。マッキンゼーに残れば収入も安定しましたし、留学するとしてもMBA(経営学修士)に行った方が卒業後の安定性は高い。しかし、自分の興味を追求した方が長期的には資すると考え、かねてから関心のあった途上国開発を勉強することにしました。そして大学院卒業後の進路として選んだのがブータンでした。

 これらの決断に共通するのは、自分では必ずしもリスクを取ったとは思っていないこと。その都度自分がやりたいこと、モチベーションが湧いて打ち込めることを選んできたので、自分にとっては他の選択肢の方がリスクが高かったのです。財政的には厳しい選択肢でも長期的には自分への投資と思ってきたので、リターンを意識した決断だったとも言えます。

「私が"スポンサー"をつけて、1年間世界を旅しようと思った理由」宇佐美さん写真.jpg

宇佐美 峻
慶應義塾大学3年(休学中)


スポンサー募集も「自分にとって厳しく、高い壁に挑むこと」でしかない
 私は大学3年時を休学して、1年間世界を旅するために日本を飛び立った。そして、その資金繰りのために大学2年生の10月ごろからスポンサー探しの活動を行い、複数の企業や個人から支援してもらっている。私は貧困やボランティア、国際問題に大きな関心を持つような学生でもなければ、自分探しの旅をするようなタイプでもない。

 私が、1年間の旅に出ること、そしてその資金繰りのために、自分のやりたいことを理解し応援してくれるスポンサー募集活動を始めた理由はどちらも同じである。
 それは、「自分にとって厳しく、高い壁に挑むこと」であり、心の底からワクワクした。


"ワクワク感"が自分を突き動かす
 小学生のころから高校まで12年間、ずっとサッカー部に所属していた。私にとっては受験勉強や学校の授業と別に、「サッカー」という自分が戦える明確な対象が常にあった。

 高校までサッカー部の中からしか外の世界を学べていなかったので、これまでとは違う場、違った視点から、社会のことや、生き方、人間関係など様々なことを学んでみたいと思い、大学ではサッカー部には入部しなかった。
 大学のようなオープンで自由な環境では、学べる場はいくらでもあるだろう。部活動、サークル、アルバイト、学生団体、インターン、ボランティア、資格勉強などなど。大学という有り余る時間をどこに割くかは人それぞれであり、どれを選ぼうとも、その時間を貴重で、学びの多い、楽しい、有意義な場にすることはできる。しかし、そのような有意義な場にするには1つ条件があるのではないかと思う。
 それは、「自分がそれに本気で挑戦できること」


田澤さん写真IMGP4501.jpg「ユーラシア大陸横断自転車~"土臭い"場所での出会いの中で、人間らしい人々の姿を見つけた」


田澤儀高
横浜国立大学大学院教育学研究科2年


1年間休学して僕がしたこと
 大学からの知り合いであり、もはや腐れ縁の友人、加藤と一緒に、ユーラシア大陸を自転車で横断しました。1年間の旅の中で、僕たちは出会った子どもに短い糸を渡し、次から次に結んでもらい長い1本の糸にしていくという活動をひたすら行ってきました。


旅の目的と結果
 学校教育の勉強をしていた僕らが活動の対象を子どもにしたのは自然の成り行きでした。この活動、ちょっと無茶でアホっぽいところが僕はいいと思っているのですが、ちゃんと意味を持っています。これをやる目的は、糸を結ぶことで世界とつながるという感覚を子どもたちに感じてもらうことです。目で見て、触ることのできる人と人との世界規模の「つながり」を生きた感覚で感じてもらいたい。そして世界は大都会だろうがアルプスだろうが砂漠だろうがジャングルだろうが、どこにでも人はいて、"糸を結ぶ"という行為でもって、みんなが同じ目線で同じようにつながっていくことができるという思いを共有したかったのです。最終的に大陸中の子ども5000人以上が糸をつなぎ、その長さは1000メートルにもなりました。


自転車で旅をする
 自転車は早すぎず、遅すぎず、地元の生きた空気を全身で感じ、そこに広がる自然や人々の暮らしが間近に感じられます。森の香りも、磯の香りも、真夏の強い日差しも、雷鳴の鳴り響く嵐も、まるごと全身で受け止めることができます。そして、そこで暮らしている現地の人々のど真ん中をぶっちぎって行くのです。畑で野菜を収穫する人々や、山の斜面で羊を追う羊飼い、ロバで物を運ぶおじさん、モスクでお祈りをする人々、道ばたで遊ぶ子どもたち。一人一人の表情が分かるほどに手の届きそうなすぐ近くを自転車で通り過ぎて行くのです。


加藤さん写真P7160224.jpg「一本の糸で世界をつなぐチャリの旅」

加藤功甫
Connection of the Children共同代表


自転車旅×子ども×つながり

ここに1本20cmの糸がある。旅中出会った子1人に1本その糸を手渡し、前の子どもの糸の先に結びつけてもらう。2人出会えば糸の長さは40cm。3人出会えば60cm。100人出会えば20m。1000人出会えば200mになる。


「つながり」と言われて、あなたは何を、そして誰を思い浮かべますか。
大学時代、長期休みを利用し4年間かけて日本をチャリで縦断した。至る所で声をかけられた。

「がんばってねー!はい、これ差し入れ!」
「お兄さん見てると私も勇気が出てくるわ!ありがとう」
「ほー!横浜から!今日は家に泊まってきなさい。旅の話が聞きたい」

今、日本では希薄になりつつある「つながり」、「人とつながることの楽しさ」を沢山感じた。
人とつながることはすごく心地よくて、あったかくて、ワクワクするもの。
つながりの大切さをみんなでもう一度再確認できないかな。

日本を縦断した今、次に目指す先は...世界。どうせなら世界で一番大きな大陸を走破したい。
でもそれだけじゃない。どうにかして「つながり」を表現したい。それも分かりやすい形で。

「見えないつながりを、見える形に。」

対象は...子どもにしよう。教育学を学ぶ中で、子どもの大きな可能性を強く感じたからだ。

「自転車旅×子ども×つながり」

Connection of the Childrenの大きな枠ができた。
2010年2月、横浜。ぬけるような青空が広がる日だった。

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