代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「新たな出会いと発見求めて休学した私」角田さん写真kakuda.jpg


角田 耕大
長岡技術科学大学大学院 1年=休学中

大学卒業前の半年間、海外インターンで仕事の現場と異国を体感
 大学の卒業単位の一つとして、一昨年9月から昨年2月までタイの精密機器メーカーで海外インターンシップを経験しました。
 そのタイの企業では製造ラインの生産マシンの設計をさせていただき、実践的な設計技術を学ぶことができました。要求されたマシンの仕様を満たすだけでははく、現場の作業員の声を聞きいて設計しなくてはなりませんでした。実際にマシンを設計した後も、製造ラインに対応できなかったりマシンが使いづらかったことがありました。現場で設計するということは、大学の机の上で設計することよりもはるかに難しく複雑なものだと実感しました。

1230豊田さん ギャップイヤー 写真.jpg「3大学8年"寄り道"重ね、私は教師になります」


日本大学文理学部4年
豊田 浩樹

 ※このたびは拙稿をご覧いただき、誠にありがとうございます。
私の経験をお話することで、少しでもどなたかのお役に立つことができれば嬉しいです。他の執筆者もそうだと思いますが、あくまでも一個人の経験や意見なので、参考程度にご高覧下さい。


「入社4年27歳で会社辞め、アジアに旅して感じる日本の危機感」 
和田さん写真R0018052.jpgのサムネール画像



和田康佑
関西大学社会学部卒業(世界一周中)

 なぜ入社4年27歳で退職か
『自分の人生の時間が80年だとして、そのうちのたった1年や2年の時間をこの広い世界を知るために費やすことは大きな糧となる』信念に従い、僕は入社4年27歳で会社を辞めた。
 むろん、両親や会社には猛反対された。「旅をする、言葉の響きはいいが結局は社会から目をそらして逃げるようなものではないか」と厳しい言葉を浴びせられた。でも僕はグローバル化、情報社会が進む現在こそ、自分の目で世界を見て、世界を知ることが必要と考えた。

 目指すは、遅まきながらジャーナリスト。そして世界へ
 僕は『ジャーナリストになる』という目標を持っている。書くことが好きで、好奇心旺盛な自身の性格を考えれば、それが自分の天職だと思っている。就職活動では新聞社を受けたが不採用で、最終的に大阪の信用金庫で働くこととなった。リーマンショックが起こり、大阪でも経済は混迷を極めていく。倒産していく企業を目の当たりにし、厳しい現実を体感した。
 やがて何年かすると、『ジャーナリスト』になる目標を忘れかけていた。ある日、馴染みの社長に「お前の人生の大義名分はなんだ」と聞かれたときに、「知られるべきことが知られていない世の中に、そのことを伝えることで社会に貢献する」という志を思い出した。
 自分の人生について熟慮に熟慮を重ね、世界を旅するという夢と、ジャーナリストになる目標、信用金庫で働いた経験を混ぜ合わせ、『世界の中小企業を取材し、出版社に投稿しながら旅をする』ということを思いつく。
そして、2011年6月、僕は妻と共に世界一周の旅に出た。

一時帰国の理由
 実はこの記事を日本で書いている。当初、旅の期間は2年間で、日本へ帰らずに旅を続けようと思っていた。それが旅人らしくて格好良い気がしていたのだ。
――では、なぜ一時帰国したのか。
それは、取材活動に挑み続けるも失敗を繰り返し、自分の構想を修正する必要性を感じたのと、各国でたくさんの人々や出来事に出会い、考え方や興味が変わってきたためだ。  

韓国でわかった取材の困難さ
 最初の国、韓国で商工会議所などに厚かましく飛び込み訪問し、旅の趣旨を述べて企業への取材の斡旋をお願いした。彼らは親切にもそれに応えようと企業を探してくれた。しかし何の肩書きのない外国人の『自称・ライター』の相手をしてくれる先はない。それでも、培った人脈をつてに何社か取材ができ、記事を書いて出版社へ送った。しかし、「記事というより感想文」と一蹴された。とても落ち込んだが、旅は始まったばかりだ。

中国の脅威と驚異
 中国では、その圧倒的なパワーと文化の違いに押された。都市の大きさ、人の多さ、建設中のビル群...聞いたことの無い街でさえ大阪より何倍も大きく感じた。
チベット・ウイグル両自治区では、危機感を覚えた。雰囲気は中国の占領地のよう。軍人がライフルを持って闊歩し、ビルの屋上には見張りの兵士が目を光らせている。僕はこの両地区で現地の人の家に泊めてもらい、食事を共にした。彼らの中国政府に対する憎悪の大きさに驚き、また故国再興に対する想いも切実なものであることを知った。そこには、地区のパワーが落ちれば、占領されることさえあり得るという現実が目の前にあった。

存在感ある韓国
 中央アジアで存在感を示しているのは韓国だ。韓国の食品や家電、韓流ドラマにいたるまで街中に浸透している。日本の存在感に出会えたのは車だけだ。カザフスタンで資源開発企業の人間と親交ができて、日本の印象について聞いてみた。「日本企業は意思決定が遅いな」と鼻で笑われた。カスピ海では石油が潤沢に産出されるため、世界中から投資マネーが入ってきているが日本からはないに等しい。この現状を見て、僕は「悔しい、日本もっと頑張れ!」と感じた。

可能性感じるモンゴル
 厳寒のロシアを鉄道で越えてモンゴルへ。ここでは親戚の友人が日本向け投資誘致会社を経営していて、その人に各地を案内してもらい、現状について教えてもらった。モンゴルは貧困国だが、鉱山資源国でありGDPは年率10%程度で伸びている。日本が欲しがっているレアアースも採れる。この国の最大貿易国は中国だ。だが、歴史的経緯から反中感情を持っている。そして、この国の経済が厳しいときに日本がODAなどで支援したため、9割以上の人が日本に好意を持っている親日国だ。中国とのパワーバランスを取るために日本からの投資を増やしてほしいらしいが、ジェトロの支部さえないほど投資が少ないのが現状だ。「日本はモンゴルに支援してくれたのだから、それをダシにお金儲けしてくれたらいいのに...」と僕は呟いていた。

やはり存在感薄い日本
 ここまで旅してくる中で、日本に危機感を覚えた。ダイナミックに世界は動き、そこへ韓国や中国などが参入しているのに、日本の存在感は薄い。そして、パワーバランスが落ちれば、対外交渉は不利になり、国家自体が危険な状態に陥ることもありうると感じる。世界には綺麗ごとは通用しないことを見てきた。これからは各地で頑張っている日本企業や日本人を取材したいと思い、態勢を整えるため一時帰国を決意した。
――「日本、もっと頑張っていこう!」というメッセージを伝えるために。

(プロフィール)
和田康佑。昭和58年6月生まれ28歳。関西大学社会学部卒業。4年間務めた信用金庫を辞め、ジャーナリストを志して夫婦で世界一周中。
ブログ:『雲をつかむ旅へ』
ツイッター:@kou3162

__金田さん写真.JPG"世界一周大学巡りの"旅の途中


獨協大学経済学部4年
金田隼人
※現在、ドイツ・ミュンヘン滞在中


1.世界一周大学巡りの背景・目的
 この世界一周大学巡りはプロジェクトとして昨年立ち上がりました。多くの企業の支援や協力を得て先輩2人が周り、今年は2期目として私が引継ぎ、周ることとなりました。プロジェクトが立ち上がった背景としては、SNSの発展から情報発信を誰もが行うことが出来るようになり、他者とコミュニケーションをオンラインで簡単に出来るようになったことがあります。一方、今後そういうオンラインが進化すればするほどリアルネットワークが価値を上げていくと感じています。そこで世界共通の肩書きである"大学生"である自分たちが旅を通じて実際に現地で出逢い発信をしていこうというところから始まったのがこの"世界一志友"の旅プロジェクトです。

 旅の目的は、
(1)海外の学生が何を考え、どういう将来を描いているのか知ること
(2)世界中の大学を見て各国の教育環境を文化を肌で感じること
(3)今後の将来を共に描ける同志を見つけること
各国・各大学での目標はもちろん異なりますが、一貫した目的はこの3点です。

2.大学訪問の概要と現状
 現在私はドイツ・ミュンヘンに滞在しております。8月30日から西回りで旅を始め、これまで18カ国32大学を訪問いたしました。大学訪問の際は主に、学生インタビュー調査、キャンパス・講義見学をしています。事前にアポ取りをして訪問する場合もあれば突撃することもあります。多くの学生、大学関係者の方は暖かく迎え入れてくれ、話をしてくれます。会話の際の言語は英語で各大学に自分たちのプロジェクトを根付かせていければと思い活動しています。学生への質問内容は「将来やりたいことは?」「自分の国、日本についてどう感じるか?」はどの学生にも聞き、各々の専攻分野やこれまでの学習、教育を受けてきたことなどをもとに人によって質問は変わっていきます。講義見学も、主には日本語学科の講義に参加し、その場で"にわか講師"となることもありました。

3.大学訪問をしての現状の考察・今後について
 もちろん一概には言えませんが、海外の大学を訪問している中で日本の大学と比べ違いを感じることは大きく3つあります。

(1)大学入学までの違い
 私が周ってきた国の大学生は、大学入学する前に"ワンクッション"あります。ストレートで入学することはほとんどなく、軍役、インターンシップ、海外放浪等、自分で今後の人生をどう生きていくか決める期間(ギャップイヤー)を作ります。それを見定めた上で大学進学するか否かを決め、するのであればどういう学問をしたいかを決め、入学します。

(2)学生生活の認識の違い
 海外の学生は、学生生活を学問することと思っています。大学の講義をしっかり受け、講義中含め、人と積極的に意見を交わし、知識や教養を自ら得ようという姿勢があります。
 今後の旅は、以上のことを通じて感じた「言語」「教育環境」「文化」の壁を見ながら、欧米の世界でもトップクラスの大学へ訪問予定です。引き続きブログ、HP等で発信していきます。

(3)就職活動のタイミングの違い
 日本での就職活動は世間一般で言えば3年生の内からスタートするのが普通です。しかし日本以外のほとんどは、卒業後に就職活動をしています。また、就労体験については、学生の内に経験するか、卒業後、自国・外国問わず経験してから就職をします。それは"新卒一括"という制度がないのが大きな要因ですが、あくまで大学生は学問をするというのが当然であることを物語っています。


※プロフィール
金田隼人。在学中は企業採用イベント等を主催。現在25カ国50大学を巡る"世界一志友"の旅プロジェクトを実践中。

twitter: http://twitter.com/hayato0317
facebook: http://www.facebook.com/hayatokaneda
blog: http://ameblo.jp/88spirits/

「世界にたった1つの"人生ドラマ"を創ろう」小林 由季(神戸大)写真.jpg
※English Translation is available on the latter half of the essay.


※Japanese followed by English No17

神戸大学発達科学部3年
小林 由季

①名付けて「日本一周 生き玉プロジェクト」を実践

 私は「日本一周 生き玉プロジェクト」と名付けて、震災後の夏休み、ヒッチッチハイクなどをしながら日本一周をして、それぞれの地で興味深い活動をしている若者たちを突撃し、話を聞いて回っていた。

 夜な夜な酒を飲みながら彼らの人生や価値観を聴き、これからの日本や世界について語りあった。彼らのような「少し変わった人生を多くの人に伝えたい!」「こんな人生もアリなのか!」「本気で日本の将来を考えて活動してるアツイ若者がたくさんいる!」ということを知ってもらいたかった。SNSやブログを通じて協力者を募集し、出逢った人達を取材した記事を発信。

 神戸に戻ってきた後はこの経験を元に関西で数回、「生きるって何?」というテーマで出逢った仲間とコラボレーションをして通信制高校で進路に関する授業を行ったり、若者の自殺対策の講演会でお話もさせてもらった。


②「余命が後1カ月」と宣告されたらあなたは何がしたい?

 私は14歳の時に病気を発症し、大学入学までの約5年間入退院を繰り返した。病院の中には「院内学級」という長期入院の子が義務教育を受けられるような学校がある。私も中学時代の2年間お世話になった。そこでは同世代の子達達が辛い治療に耐えながら、勉強している。仲良くしていた子達の死も、目の当たりにした。今まで普通の世界しか知らなかった自分には衝撃だった。生きるために生きる、そんな世界。

「人生は一度きり。しかもその死はいつやってくるかわからない。自分がやりたいことは全部やって死のう。後悔がない人生を」そう心に誓った。



③"敷かれたレール"なんて吹き飛ばしちゃえ!

 私は入院生活や、その他にも色んな悩みを抱え、高校1年生の時に留年することになる。高校で留年っていっても周りはそんな奴は誰もいない。15歳にしていわゆる「普通のレール」から外れた問題児。留年中は家を出て、長崎県の山奥で恩師の下で自然しかない環境で修業生活したり、高校卒業程度認定試験(旧大検)を受験するため通信スクールに通ったり(合格できた)、入院したり、放浪したりしてた。

まさかこれほどギャップイヤーが認知され、そのブームが6~7年後に来るのも知らずに・・・(苦笑)


④「自分の頭の中の世界」しか現実にはできない

 病院生活、留年、山奥での修業...自分が普通じゃないことにとても違和感を抱いていた高校時代。一番不安だったことは周りにロールモデルがいなかったこと。全くの未知の世界に放り投げ出された気分だった。

 周りの子達と同様に家族も私も普通に中学・高校・大学・そこそこの会社に就職っていう一般的な人生のレールしか知らなかったから、そのレールから外された途端、この先どういう人生が待っていて、どう生きていけばいいのか全くわからず不安でしょうがなかった。

 だから病院生活や留年時代にたくさんの人達に出逢い、助けてもらって、「こんなにも色んな人生があるのか!」って人生観が180度大きく変わった。

 普通の人生のレールの外にある何千何万通りの人生を知った時に、人間としての深みも、強さも手に入れた気がした。

 自分が思っている以上に世界は広い。色んな生き方がある。自分が知っている世界が全てじゃない。これからは自分で道を開拓していく「イキルチカラ」が求められる時代が来る。生きることに悩んでいる人達に「人生の選択肢を広げる」というメッセージを届けるために、今日も走り続けます。

小林 由季
「日本一周生き玉プロジェクトの概要とブログ」
Twitter:yuki1709
Facebook: Yuki Kobayashi


"Let's make the only one DRAMATIC LIFE in the world"
Yuki Kobayashi(Kobe University)


Traveling around Japan named "seeking vigorous soul project"
In the summer vacation of 2011, after the earthquake of March 2011, I traveled around Japan named "seeking vigorous soul project". By hitchhiking etc., I visited young people who make interesting activities in each area. I interviewed their life and thoughts throughout a night, and we discussed Japan and the world in the future. I also intended to introduce their passion to many more Japanese, such as telling a little strange life, the possibility of such life and the existence of young people who consider the Japan's future and make actions. I gathered supporters via SNS/weblog, interviewed them and wrote articles.

After coming back Kobe, I held several lectures for correspondence course high school students with comrades who met around Japan. The theme was "What's our life for?" I also got an opportunity to talk in a lecture whose theme was prevention of youth suicide.


What do you want to do if you were told that your remaining days are only 30?
When I was 14, I got a disease so that I had repeated entering and leaving hospital until 19, about 5 years. There exists school inside hospital where children who enter hospital for long time can take obligatory education. I also used it for 2 years at my junior high school days. Enduring severe treatment, same generation children with me study there. I faced my friend death there. It was very shocking event for me, as I had known only "usual" world. Live to live - this world can be described as such.

Life is nothing but once and nothing tells us the end. I want to die without any regret, done everything I want to do. I made a vow in my mind.


Let's break through "laid rail"!
Having suffering for my hospital life and so on, I remained in the same class for another year when I was high school 1st grade. No one around me did such a thing. I was a 15-year-old problem child, who dropped out from the usual way. At that time I went out my home and spent a training life surrounded by mountain, took lectures at correspondence school to get a certificate of high school equivalent test, entered hospital and traveled around.


We can only realize the dream imagined in our brain
Hospital life, remaining in the same class, and training life in mountain - I strongly had a sense of incongruity for my unusualness in my high school days. The biggest uneasiness was that there was no person as a role model. I felt as if I were thrown away to unknown world. As same as my friends, my family and I knew only a "usual" life - going junior high school, high school, university and work at a company. So when I dropped out from the way, I had no idea and felt uneasiness what life I would spend and how I could live my life.
So when I spent my hospital days and high school days, I met many people and was helped by them. I knew the diversity of life and changed my view of life exactly the opposite of my former one.
When I got opportunities to know the countless ways of life, I also thought I got profundity and strength as a human beings.

This world is far bigger than one's imagine. There exists diverse ways of life. The world one knows is not everything. An era will come when "power to live" to create one's way for oneself is needed for each from now on. To send messages of "widening the way of life" for those who have sufferings to live - I live my life today with this mission.

Translated by Tatsuya Yabuuchi


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