代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「医学生が、なぜか休学してアフリカ旅してます」井口さん写真.JPG

井口明
秋田大学医学部医学科=2年次休学中、現在モロッコ 

医学生にとっての休学とは?
「1年間休学させてください」
 大学1年の昨年秋、休学申請手続きを始めた僕に対する反応はなかなか厳しいものだった。
・理由が何であれ、休学・留年で学年を下げることは、その後の実習などで不利
・秋田大学では医学教育のカリキュラムが年々改変されており、「遅れ」が発生するため、復学後に独学で学ばなければならない分野が出てくる
 上記のような具体的な「休学のリスク」を担任の先生や学科の先輩から延々と聞かされた。医師不足で騒がれる現代において、たかが1年されど1年で、医師として生涯労働年数を減らす行為は簡単には許容し難いようだった(幸いにも担任の先生の心ある理解と助力のおかげで、僕は「休学許可証」をもらえた)。

 大学に入学して1年間、僕が感じたのは"閉塞感"にも似た感情だった。批判するつもりは毛頭ないが、僕個人としては良くも悪くも医学科内で自己完結しているような風潮を感じずにはいられなかった。
 「このまま医療関係者だけの世界で自分の人生が完結してしまうこと」、それに僕は嫌な気がした。「良い医者」の定義は難しい。技術やプロフェッショナル意識、人間性、その他いろいろな要素を統合した優れた理想の医師像。「自分にとってのそれに近づくには、このある意味"居心地の良い空間"に浸っていては駄目なのでは?」そんな疑問と懸念もあり、最終的に休学という道を選択した。

「"ありがとう"の言葉の意味を教えてくれた僕のギャップイヤー」児玉祐介さん竿燈.jpgのサムネール画像


児玉祐介
国際教養大学国際教養学部3年
※現在中国湖北省の武漢大学に留学中


 みなさんは「ありがとう」という言葉のもつ意味について考えたことがありますか?

「ありがとう」との最初の出会いは高校時代
 地元兵庫県の中学校を卒業し、僕は野球をするために親元を離れ宮城県の聖和学園高校に入学した。毎日朝から晩まで野球をしていた日々は、今思えばいい思い出である。

 聖和学園では、週に一度「勤行」という仏教の時間があった。お経を唱え、仏教歌を歌い、校長先生の法話を聞く時間だ。当時の友人たちとその話をすると、決まって毎回数十分間の正座がつらかったという話になりがちだが、それ以上に印象に残っている法話がある。それは「ありがとう」という言葉についてだ。

 「ありがとう」という言葉は「有り難う」と書き、"有ることが難い"、つまり「滅多にない」ということである。普段僕たちが何気なく使う「ありがとう」という言葉には、身の回りに起こるすべての事は実は滅多に起こりえないことで、その滅多に起こりえないことが起こったということに感謝しなければならないという意味が込められている。その"事"が起こったこと、そこに自分が居合わせたこと、突き詰めていけば自分が生まれたこと、それらは何千何万分の一、それ以下の確率なのだ。

 当時高校生だった僕は、実はこの話の意味をよく理解していなかった。
ちなみに余談だが、僕は何の宗教も信仰していない。入学して初めて聖和学園が仏教系の高校だと知ったぐらいだ。


photo寺田さん写真.JPG「障害者である僕には未来はない、可能性もない。僕は自分の人生諦めているんだ...」※後半に英語訳2本有り Japanese followed by English
※English Title:OWING TO MY CONDITION, I RESIGNED MYSELF TO A DIFFICULT FUTURE, WITH FEW POSSIBLLITIES.(Yusuke TERADA)

寺田湧将(てらだ ゆうすけ)
関西学院大学社会学部4年=休学中
※現在、英国EF international Language Centres  Oxford校在学中


 タイトルを読んで、皆さんはどう思いましたか?僕ははっきり言いたい。「タイトルのように考えるなんてあり得ない!」と。

脳性マヒという障害者である自分
 僕は、生まれつき脳性麻痺という身体障害を患っていて、身体を満足に動かすことが出来ない。立つこと座ることは出来るが、走れない、そして多少歩けるものの、その歩ける時間は5分にも満たない。もし、皆さんと同じペースで10分歩かされると、身体中汗だくで息が上がり、「一体全体どうしたんだ、マラソンでもしてきたの?」と聞かれるに違いない。

 僕が生まれた時、両親は医者に「この子は普通の子と同じように生活するのは不可能です。辛いと思いますが、一緒に頑張っていきましょう」と言われたらしい。でも、僕の両親は諦めなかった。幾多に及ぶリハビリの日々、経験を経て、僕は今・・・


僕は今、大学を1年間休学して、"たった一人"でイギリスに来てしまった!
 ちょっと待て!?5分という短い時間でも連続して歩けない人間がどうやって一人でイギリスに来たの?汗だくになりながらも休憩しながら一歩一歩?いやいや、それじゃ風邪を引いてしまう。それに疲れ果てた顔じゃ、女の子にも会えない。それは大問題だ!笑

 どうしたら僕は留学にいける?日本にいたとき考えていた。答えは簡単だった。
そう、『車いす』をちゃんと使いこなせば、僕でも皆と同じように、ひとりで留学にいける!そして今、僕は車いすに乗りながらイギリス生活を満喫している。


「ザンビアで、"頭の中の色が変わる"感覚を味わう日々」写真:鹿田さん.JPG

※Japanese Essay followed by English

鹿田 佐くら
(立命館アジア太平洋大学国際経営学部=休学中、現在はモロッコで雑貨の買い付け中)

海外建築ボランティアサークルを通して
 初めての海外ボランティアは、サークルのメンバー20人と共に行ったマレーシアだった。支援者の家は日本の感覚では確かに「貧困」にあたる家であり、私達が世界の貧困を伝える啓発活動で言葉にしてきた「劣悪な住居環境」であるとも感じた。そこで現地の人々と2週間の建築活動を行った。


おとなが言う「学生なのにすごいね」ってほどではないのでは?
 帰国後、私達の活動を広めるべく"九州半周自転車キャラバン"で周った。募金活動やプレゼンテーションを行いながら、野宿もし、家の大切さも身にしみて感じることができた。道中は高校生や大学生、道行く人と言葉を交わし、自分達が見た世界を少しでも知ってもらおうと駆け抜けた。

 私は同サークルで広報を担当していたため、新聞社やテレビ局、ラジオ局を周っていた。その中で「学生なのにすごいね」という大人の言葉が、何回も私の心に引っ掛かったのだ。確かにバイトで貯めたお金を使い、大学生の遊べる夏休みを使い、達成感や充実感を感じていた。しかし自分の中での疑問はどんどん大きくなり、「そんな大したことをしていない」と思う様になっていた。お金を払えば誰でも参加できるボランティア、果たしてこれでいいのか、このレールに乗っかってこれからもやり続けるのか...。思い悩んだ。

黒住宗芳さん写真CIMG3691-2.jpg「僕が休学して留学したワケ~日本の"空気"ではなく、世界の"風"を感じよう!」

黒住 宗芳
オックスフォード・ブルックス大学
(立教大学経営学部3年=休学中)

はじめに
 数多くのメディアで海外に関する情報を簡単に手に入れられる時代になって、多くの人が、その一部だけを見て他国や人種に対して一方的なイメージを創り、世界をわかった感じになっているような気がしている。まさに以前の僕自身がそうだった。


僕が休学して「留学」を決意したワケ
 昨年春、震災後ではあったが、初めて台湾へ行く機会があった。その時の体験により僕の海外への目の向け方は一変した。
 "親日的"と言われる台湾だからこそかもしれないが、地図を広げているだけで「ようこそ来てくれた、何でも聞いてくれ。それより日本は大丈夫か?」と実に多くの方に声をかけてもらったことが印象深い。何故そこまで親切にしてくれるのかと考え尋ねる中で、彼らには、愛する母国にわざわざ来てくれた外国人をもてなす文化があると学んだ。

 喜び感動したと同時に、日本では外国から訪れる人に対する気配り自体少ないのではないかという疑問も抱いた。恥ずかしながら当時の僕には、日本は成熟した先進国なのだとたかをくくっていた部分があった。それが、謙虚な姿勢で他国から多くを学ばなければいけないという思いに変わった。事の「本質」は、自分の目で見て確かめないと掴めないということもこの時に学んだ。日本について、日本人としてどうあるべきかと、答えの無い答えを模索した。そして自分がいかに「世界知らずか」と気付かされた。また、日本占領下時代からの年配の方々から当時のお話を伺い、自分は日本のことも大して分かっていないという深刻な事実も突きつけられた。

 帰国後、まずは自分に何ができるだろうかと考え、1ヶ月間の募金活動や被災地訪問など、震災復興のために出来ることに動いた。今思い返せば、正直それまでの2年間は「何かを成し遂げたい」という漠然とした気持ちのみが先行し、あれこれ手は出しつつも「筋の通っていない」「芯のない」大学生活だったと思う。だが福島県の避難所でボランティアをさせていただいた際、テレビなどで見聞きしていた以上に厳しい現状を知り、「このままではいけない」という思いが弾けた。自分に今何が出来るかを考え、それに全力を注ぐべきだと感じた僕はまず、自らの力と「経験値」を高めるべきだと思った。日本でやらなければいけないことがあると感じつつも、少しでも早く世界を学ぶことが今自分のやるべき事だと確信し、留学を決意した。

 横並びの風潮が否めない全体主義、あるいは画一主義の日本で得られることにはどうしても限りがあり、留学という選択肢は自分の今の年齢で世界から学び、日本を掘り下げられていることは何事にも変え難く、得がたい経験である。


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