代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「自分一人で稼げることを世の中のスタンダードに」1230山下さんyamashitam.jpg

山下雅宏
(東京大学薬学部卒、大学院自主退学。法人設立準備中)


漠然とした経済的不安感
 僕の心は常に何か枷のようなもので囚(とら)われているような感覚を持っていました。
大学受験で東大に向けて勉強していた時も、理系の研究室に入って研究していた時も『勉強しないといけない』、『研究をしないといけない』と常に強迫観念に駆られていました。

 つまらないと分かっているのに、『やらないといけない』と感じてしまうこの強迫観念のもとは僕の場合は、漠然とした経済的不安というものであったと思います。

東大に入れなかったら、いい会社に入れない。研究でいい成果を残せなければ、いい会社に入れない。

将来のためとはいえ、毎日がつまらない日々でした。そんな僕に転機が訪れたのは、就活の頃です。

 以前から研究職は自分に合わないことに気づいており、違う分野に就職先を決めたことで、研究で成果を出す必要性がなくなったため、僕は形式上は休学ですが、実質退学をしました。

 ぽっかりと空いたこの1年間をどのように過ごすか考えた時に何もせずに就職してしまっては、次は『仕事をしないといけない』という生活になると思ったので、空いた1年間の間に経済的不安を極限までなくそうと考えました。

そこで出た結論が、『会社に依存せずに自分一人で稼げるようになればいい』ということでした。


一人で稼ぐことは思ったほど難しいことではない
 空いた1年間を使って、自分一人で稼げるスキルを身につけようと思い、色々とリサーチした結果、ネットビジネスというのが最適だというのが分かりました。

 そして、1年間脇目も振らずにネットビジネスをやっていき、自分が理想としていたレベルまで一人で稼ぐ力が身に着けることが出来ました。

 この1年間を通じて気づいたのは、会社に入らずとも、【勉強】さえすれば一人で稼ぐことは思ったほど難しいことではないということでした。

 1年前の僕であれば、一人でお金を稼ぐのは難しいと感じていました。しかし、それはただ単に【自分一人で稼ぐスキル】を勉強していなかったから難しいと感じていたのだと今は思っています。

 国語や数学はこれまでに何千時間も勉強してきましたが、お金についての勉強は今まで一秒たりともしてきていませんので、お金に関しては小学生と実は大差がなかったということでした。

お金に関する教育が教育課程に入っていないから当然と言えば当然ですが。


お金に関する教育をネットで配信する
 現在のところ、世の中にお金に関する教育というのはほとんど存在しません。その結果、多くの人の場合、お金を稼ぐためには『企業で働く』という選択しか残されていません。

しかし、お金の為だと思ってする仕事は大抵つまらないものになってしまいます。

 仕事とは別にお金を稼ぐことができ、お金を貰わなくてもこの仕事をしたいと思えるような仕事をすることが、一番仕事を楽しめる環境なのかと思っています。

 なので、僕はこの考えから、【自分一人でお金を稼ぐスキル】を学ぶ教育を作って自分一人で稼げることを世の中のスタンダードにしていこうと思っています。

僕が考えるお金の教育とは3段階フェーズがあり
フェーズ1 お金を作る(経営...サービスや価値を作る)
フェーズ2 お金を守る(税金...稼いだお金を守る)
フェーズ3 お金を増やす(投資...お金をお金で増やす)
というものです。

 僕にとってのネットビジネスは、このフェーズ1のお金を作る段階にあたり、今後は、税金を勉強し、投資に向かっていこうと考えています。

 そして、僕自身ですべてのフェーズを高いレベルで成功させて、お金に関する理論を体系化して、ネットで配信していこうと思っています。

ネットビジネスに関しては、綺麗な形で体系化したので、是非、サイトやブログを見てください。


"自由に仕事ができる人"が増えると日本はもっとすごくなる!
 お金に関する教育を僕が体系化し、そのコンテンツを多くの人が自主的に勉強することで、会社に依存しなくても生きていける人が増えれば、彼らが自由になった時間で彼ら自身にしかできない新しい価値を作り出すと思っています。

 よく、日本は優れた起業家が出てこないと言いますが、それは、優秀でポテンシャルのある人たちほど、合理的に考えた結果、大企業を選んでポテンシャルを発揮しないからだと思っています。

 なので、彼らが合理的に考えて独立した方がいいと思えるような、教育環境を整えておくことで、優秀な人達が斬新な価値を生み出す側に立ってくれるようになればいいと思っています。

 僕の作ったコンテンツで勉強して、『お金に関する教育をしっかり受けてきたから、僕は思い切って独立できたんだ』というような人達が次々と出始めればいいと思っています。


プロフィール
山下雅宏(やましたまさひろ)
東京大学薬学部卒。就職が決まったことをきっかけに、大学院を実質退学。
インターネットビジネスで月収50万円を稼いでおり、来年度は月収を一桁上げたのち法人化予定。現在は自身のスキルを磨きつつ、多くのコンサル生にインターネットビジネスを指導。世の中にないお金に関する教育として、【自分一人で稼げるスキル】の教育をネットで配信中。現在はインターネットビジネスの教育を配信しているが、最終的には税金、投資の教育を配信予定。

Twitter: https://twitter.com/src_masa
E-mail: mail@yamashitamasahiro.com
Facebook:Masahiro Yamashita
初心者から学べる体系化されたネットビジネス:http://yamashitamasahiro.com/nbll/
東大生ネット起業家のブログ:http://yamashitamasahiro.com/
Youtube: 東大生ちゃんねる:http://www.youtube.com/channel/UCq2mb_noAOllhBF-XzVexQg

「何気ない毎日を大切に」~無謀にも海外に山我拓也さん写真.jpg

山我拓也(流通経済大学 4年目休学中@豪州) 
 

東日本大震災
 家ですさまじい光景のニュースを見て、ボランティアに行こうと決めた。"万が一"、ということもあるからすぐに踏み出したわけではない。私が「被災地」とされる場所に立ったのは、それは数か月も先の話だった。

 私自身、小学校からバスケをしていて正直バスケ以外の世界を見たことがない。しかし、なぜバスケしかしてこなかった人間が、違う世界に踏み出そうとしたのか。それは「新潟県出身」であり「大学生」だからということ。それは何を指すの?と思うのは普通だ。それに関連してくるものは「中越地震」。中越地震が起こった当時、私は中学生だった。当時のことは全く覚えていない。だって新潟県って広くて、私自身は全然被害がなかったから。それに私は中学生。バスケ少年だったしそんな社会の事なんて興味はなかった。

 でも覚えていることが1つだけあった。「全国各地、いや全世界から新潟県のために支援をしてくれている人がいる」ということだ。
 だから私は新潟県民として、「恩返し」がしたかった。そして自分が大学生で誰よりも、自由が効く人間だったからだ。


そこで何を見て、何を感じたのか
 私は大学を休んだり、春休みを活用したりして合計4か月間ボランティアに携わった。途中からはボランティアを受け入れる側の人間としても動き続けた。

 その4か月、生々しい話を多く聞かされ沈みかけたこともある。それと同時に、日々光が差し込む石巻市をみるのが気持ちよかった。その4か月内である女性から深い話を聞いた。それは、かいつまんで言うと「自分たちは神様に生かされたのだ」ということだ(「自分を探すな(いろは出版)」参照)。その話を聞き、「いま、生きていること」の大切さを気付かされた。

 そう、3月11日に命を奪われた人は、いきなり命を奪われるなんて1日前までは、いや数分前までは想像もしてなかっただろう。そんな世界を今の自分たちも生きている。だから「何気ない日々を精一杯に生きろ」と。


茨城県北条地区竜巻被害
 2012年4月、ボランティア団体のLL(リーダーリーダー)を卒業して何気ない大学生活に戻った。と思いきや、大学のある茨城県内で竜巻。それもかなりの被害。冒頭に書いたように、東日本大震災の時はなかなか踏み出せなかった。それを自分自身の中で後悔していたのか、翌日には北条地区でボランティアをしていた。「自分変わったな」って思う。


「何気ない毎日を大切にしろ」と言いつつ海外?!
 今度こそ何気ない大学生に戻ったぞ。よし・・・・。教師を目指して勉強しなきゃ。と思う中、「このままでいいのかな。」と思った。頭に浮かんだこと「海外に行って海外の学校の制度を見よう」え?なんで?いきなり。その時の勢いから浮かんだことだ。親からは「あと1年なのだから、卒業してからにすれば?」と。でも今じゃなきゃいけない理由ができていた。「卒業したら、教員採用試験に落ちていたとしても講師として採用される。そしたら講師とはいえ教師。そうなると、自分が目指していたものを投げてまで海外に行きたいとは思わないだろう」と、今考えれば「それだけの気持ちなの?」って思われてもしょうがない。でも本気でそう思った。


イングリッシュ?オーケイ?・・・・ノー。
 親を説得し、大学からも休学をもらった。でもある不安が。「イングリッシュ」。私は高校時代とことん英語は赤点。大学では英語なんてやってない。喋れるわけがない。でも気付けばそこはオーストラリアの地に立っているじゃないか。

 英語のしゃべれない私がオーストラリアで何をするのか。小学校の日本語の授業の先生のアシスタントだ。今は3つの小学校と、1つの日本語学校でボランティアをしている。週6で仕事、じゃなくて「ボランティア」を。英語はしゃべれないから会話なんてできない、何を言っているかもわからない。それが現状だ。


言葉?それって大事なの?
 今ここにいて思うこと、「言葉がすべてじゃない」。先ほども述べたように全く英語が話せない。話せたらもっといろいろなものが見えてくることも事実。でも言葉を交わすだけがすべてじゃないと思うようになっていた。災害ボランティアでは被災者とされる方たちは「言葉」を求めていたわけじゃない。隣にいる温かさとぬくもり、そして人としての信頼、繋がりだ。

 それは言葉を通して作り上げるものなのでは?と思うだろう。でも今の私の経験からしてそうじゃないと思えるようになった。喋れなくても、日々そこにいることに意味がある。日々一緒に一生懸命に生きることに意味がある。それが言葉以上の大切なものなのじゃないかと今思えるようになった。それは自分自身の中にある常識がひっくり返ったような現実でもある。

踏み出してみたことで、世界が変わる。

プロフィール:
フェイスブック:山我拓也(takuya yamaga)
ツイッター:@takuyamaga
参考図書:「自分を探すな」(いろは出版)

「人生よ、ドラマチックであれ。」小谷篤信さん写真.jpeg


小谷篤信
米国・ブラウン大学2年


※JGAPからのお知らせ
留学や進路、生き方やキャリアを一緒に議論しましょう!
1/15(水)18時~ JGAPエッセイ"フロンティア・フォーラム欄"オフ会 「米国・ブラウン大学 小谷篤信さんを囲む会」
http://japangap.jp/info/2014/01/11518jgap-1.html


「俺の人生は俺が決めるんだ。他の誰かに決められてたまるか。」

 喉が切れるほど叫んだあの日の想いは今も胸の中を渦巻いている。2010年4月2日、もう3年半以上も前のことだ。
親に何も言わず、勝手に願書を書いて経団連の留学奨学金制度に応募した。一人で大手町の経団連会館に行き、一人で面接に臨んだ。そして4月2日深夜、塾帰りに家の玄関を開けると、父が仁王立ちで僕の帰りを待っている。彼を見るや否や僕は自分が先の制度に合格したことを察した。お祝いとして受け取ったのは、父渾身の右ストレート。「お前は東大に行くんだ。海外留学なんて調子に乗ったことを言うんじゃない。」という、愛情たっぷりのコメントも添えられていた。(注1)

 16歳。「今までの人生は全て他の誰かによって与えられたものだ」と気付いた。自分の学力も学歴も。親が塾や学校に投資してくれたことで、勉強に集中できる環境が確保され、自分の学力が向上し、麻布にも入れたのだと知った。親には今も昔もずっと感謝している。しかし、僕の意思や決断はどこにもなく、ただそこには世間的に模範とされる生き方があるだけだった。そう気付いてしまった時、自分が生きている価値などもはやないように思えた。自分の人生から『自分』が欠落していたのだ。なんて空っぽな人生だろう。僕はそれまでの16年間を憎悪し、深く呪った。「自分の人生を生きる。」既にそれは願望ではなく、生き残るための最後の手段だった。だから、高2の夏、麻布を辞めた。

 留学最初の4ヶ月で僕は8キロ痩せ落ち、奥歯は歯ぎしりで欠け、円形脱毛症になった。12月一時帰国した僕を前にして、母は「死人みたい」と呟いた。

 「あのまま日本に残っていれば安定した人生を歩めたかもしれない」という感慨は、英語力不足に悩む僕をより一層苦しめた。最悪―――でも僕にとって最高な時期でもあった。どれだけ苦しくても、それは確かに自分の、自分だけの人生だった。喜ばしいことじゃないか。自分の人生でこんなにも悩むことが出来る。こんなにも苦しむことが出来る。だったらもっと自分の人生を生きてやろうじゃないか。他人の生き方と自分の生き方を比べるなんて、もはや無意味なことに思えた。そうして2年後、僕はMIT(マサチューセッツ工科大学)とブラウン大学に合格した。東大を世界大学ランキングで遥かに上回るMITに対し、僕はなんの感情も抱かなかった。社会の価値観なんかに左右されない僕の人生が眩しい程にブラウン向かって伸びていたからだ。

JUST THE WAY YOU ARE 自分らしくあれ中村舞さん写真.jpg

中村 舞 大阪教育大学中退

たとえば
あたしが「就活」をしたとして
「何を1番頑張りましたか?」と聞かれたら
頭によぎるのは
「とにかく中村舞らしく生きることに夢中でした」という答え。

履歴書のためにではなく
中村舞のために
勉強をしてバイトをして旅をした。


「彼氏」も「世界一周」も「留学」も「大学」も

すべて何の価値もないただの言葉

形もない、ただの言葉にすぎない

言葉に惚れてはいけない

意味を持たせるのは、いつも自分です。


東ネパ-ルの山村 ペルマン村でギャップイヤーを一緒に体験しませんか?~親世代(50歳以上)からのメッセージネパール2.JPG


竹原 伸爾 
ボランティア活動"ネパ-ルの風"代表 (任意団体)


東ネパ-ルの山村 ペルマン村でギャップイヤーを体験しませんか?

ボランティア活動の任意団体"ネパ-ルの風"は2007年より東ネパ-ル、ペルマン村の青年団と協力して村人が貧困から脱出し自立した生活を実現する支援活動を行っています。

 ペルマン村はエベレストから真直ぐ南に下った標高1800mの中間山岳地にあり、人口およそ2400人のライ族の村です。昨年12月に漸く電気が通じましたが、ネパ-ルでも開発が遅れた地域の一つです、そこに住むライ族は日本人と全く顔付きの変らない心やさしい人達です。

ネパール1.JPG
 現在私達が進めているprojectは
・サツマイモの栽培とブタの飼育
・脱穀機の設置
・寝袋の提供
その他、飲料水の確保、病人に対する支援など村人の要望に応えています。

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