代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「ギャップイヤーにカンボジアでカレー屋をやってます!サムライカレープロジェクト!」もりぞうさん.jpg

 こんにちは。2度目の寄稿となる森山たつをです。

 1度目の投稿は、私自身が20代の頃のギャップイヤーで体験した「ビジネスクラスで世界一周」についてお伝えしましたが(注1)、今回は、若者のギャップイヤーに起業体験をしてもらおう!というプログラムについてお伝えします。

 2014年1月より開始した、サムライカレープロジェクトという研修プログラムでは、主催者である我々と、ギャップイヤー中の20代の若者3人で、カンボジアの首都プノンペンでカレー屋を作っています。

 主催者が用意するのは、店舗と泊まるところと資金。そして、料理研究家が作ったオリジナルのレシピだけ。参加メンバーは、これらを元に、自分たちで考えて、カレー屋を作っていきます。

 やることは山積です。

「ギャップイヤーを取得して、自分の何が変わったのか?~我が心の考察」富田さん写真4223160.JPG

冨田 典希
神戸大学農学部資源生命科学科3年(休学中)


 はじめまして。
私は2年生を終えた時から1年間のギャップイヤーを取り、約8か月をフィリピン、オーストラリア、インドなどで過ごしました。このエッセイはその期間に感じたことや帰国後に考えたことをまとめたものです。同じように休学やギャップイヤーを考えている方に、これを読んで参考にしていただけると嬉しいです。

1. ギャップイヤーに至った経緯
 私は高校までを地元の富山で過ごしました。小さいころから海外のニュースに興味があり、特に食糧問題は私が農学部に進むきっかけになりました。また日本との文化の違いを肌で感じてみたいとも思っていたこともあり、大学ではいろいろな国に行きたい、と思っていました。

 神戸大学に入学後、初めて行った海外はシアトルで、英語研修を受けました。大学ではフィリピンで活動するNGOにも所属したこともあり、とくに発展途上国に興味を持ちました。海外で過ごした時間は私にとって毎日が新しい発見や出会いの連続で、刺激的でした。英語を重点的に勉強し、多くの外国人の友達を作っていくうちに、専門である農学を通して世界を見たい、もっと日本とは違う文化に触れたい、大学ではできない経験をしたいと思うようになり、1年の休学を決意しました。


「高校3年生、今、自分らしさを求めて~私のギャップイヤー計画」阿部愛里さん写真.jpg


阿部愛里(宮城県気仙沼西高校 3年) 


「これまでの私」
 私は4歳の頃から和太鼓を習っています。

「頑張れば夢は叶うんだ!」
 いつも理想を話す監督の元、育てられた私たちは小学6年生で全国大会を優勝しました。その後、ベトナム公演、上海万博公演、北京公演の3つの海外公演を私はキャプテンとしてチームを引っ張りました。「これは全て私の実力!」なんてことは微塵もなく、ただただ素晴らしい仲間に恵まれ、運が良かっただけです。ベトナム公演で出会った、ベトナム戦争の枯葉剤の影響を受けた子どもたちとの交流で、私は大きな夢を持ちます。

『和太鼓を使った国際協力をしよう!そして、太鼓で世界を回ろう!』
親も周りもそれを全力で応援してくれていました。「この子はプロの太鼓奏者になるんだ」そう思い込まれて育てられたから、私にとってその道はベンチャーでも何でもない、自分の進むべき道だと感じていました。


「全てをひっくり返すほど衝撃的な出来事」
 私を変えて、私のふるさとを変えてしまった東日本大震災。
震災が起きたのは中学3年、卒業式前日でした。ワクワクしていた高校生活も、その影響で5月中旬スタート。それまでは瓦礫の山の中で暮らしていたから、ホッとできる時はあまりなく、いつも何かと戦っているような感覚でした。いざ、高校生活が始まっても太鼓道場は練習を自粛していましたから、家と学校の往復の単調な毎日に、太鼓という外の刺激を受けていた私にとっては息苦しくて仕方なかった期間でした。

「世界一周なんかにこだわるな!」大谷さん、写真.jpg

大谷 浩則(世界2周目の旅行人)


皆様初めまして。
「世界2周目の旅行人」 大谷と申します。
 
2009年−2010年にかけて「世界一周」し、2012年4月より再び旅に出ています。 

2014年1月からの西アフリカ縦断を前に今までの世界旅を振り返ります。

そもそも何故世界2周目に出たか?と言う事ですが、理由は簡単です。
「前回の世界一周が失敗だったから」 

今思えばヒドい旅だったです。

何が失敗だったのか というと、
・「世界一周」という表面的な内容ばかり気にして地球を周る事・移動する事に満足していた。(423日で44カ国周りましたが数は大切ではない)
・せっかくの長期旅なのに主要観光地巡りをしてしまった。
・自分をとことん追いつめ、旅を通じて「挑戦しなかった」。

結論としては
「中身が薄い」これに尽きます。 

私は元々体が弱く、特に胃腸については日本人の中でトップクラスの弱さでしょう。
海外に出れば年間300日は腹痛。
この腹の弱さを言い訳にし、容易な場所しか旅をしなかったのです。 
自分がやりたいこととは別に。 

本来ならば
・登山に挑戦したい
・アマゾンの奥地で昆虫採集したい
・絶海の孤島に不定期線で訪問する
・ガイドブックなどには記載されていない辺境の村を訪問する
・マイナーな国で絶景を探す

等々やりたい事は星のようにあるにも関わらず、安易な観光地ばかりを旅した訳です。 


帰国して感じたことは
「僕は観光地巡りをするために社会人をやめたのか?」
という後悔。 

そんなものはリーマンパッカーでもできるのではないか? 

確かに僕の「旅価値観」は年々変わってきています。
海外旅行を始めた頃はとにかく「観光地」、「世界遺産」中心。
しかし現在は「山岳風景と村」「希少生物の探索」「伝統的・特徴的建築物見学」 
と具体的なものに興味がシフトしています。 

多くの旅人の中で話題になるのが「長旅をすると旅に飽きる」という現象です。
僕の場合、「観光に飽きる」ということはないのが救いです。
次の町には何があるんだろう?という好奇心が常に旅へと駆り立ててくれるわけです。 


僕が世界2周目で心がけているのは「長期旅行だからこそ出来る旅」。
具体的に言うと、
インドのチベット・ラダックでの1ヶ月山岳生活。
西カザフスタンでのイスラム神秘主義・宗教巡礼参加。
パミール高原でホームステイ巡り。 

等々。 
世界一周目に比べてはるかに充実しています。 


旅のスタイルは人それぞれ というのが前提ですが
あえて提言します。

もし、長期に渡り海外に出る時間とお金があるのでしたら、
「バックパッカー旅」をオススメします。
1度やってみて下さい。
世界一周にこだわらなくてもいいので。
「テーマ」を持った旅とかしなくてもいいので。


旅を継続する事で自分の旅価値観が見つかり、
自分にとって快適な旅の仕様が分かります。 

その中で改めて
「日本と海外の文化的違いに驚く」
「長期的に生活・研究したいエリアが見つかる」
といった海外の魅力に取りつかれるケースもあるかもしれませんし
「今まで味わった事が無い人間ドラマに遭遇した」
「年齢、性別、国籍、職業関係なく人と接する事になる」
等日本にいては滅多に得ることができない体験ができるでしょう。 

海外で泥臭い体験が出来るのは
「長期旅」時が機会大ですので。
そして、バックパッカー旅が一番現地と向き合えると思うのです。


たまたま僕は長期旅をしているので「旅目線」でお話ししていますが、べつにこれが、留学・インターン・友人宅訪問・ワーホリ等でも同じかもしれませんね。

色々とお話ししましたが、とにかく自分の好奇心を大切にして1度海外に出てみて下さい。 

僕は学生時代の8割以上を「学校が課す勉強」に費やしました。 
高校生時代、友人と遊んだ経験は2度あるかないかです。
受け身的な勉強をするくらいなら海外を旅した方が相当勉強になります。 
自ら考え、自ら成すというスタイルで旅をすると本当に面白い。


「世の中こんなに自分が知らない事が多いんだ!」とういう衝撃。
ネットの文字情報・写真だけでは到底理解できない事実が広がっています。
 

2014年1月より「西アフリカ縦断」が始まります。 
マラリア等の病気、治安問題、物価高 等不安な点も多々ありますが、
体験した事が無い文化圏・宗教圏・自然環境に心は高鳴ります。 

今までの人生で得た「常識と言う偏見」を捨て、
現実をしっかりと噛み締めてきます。 

またどこかで旅の総括的なお話もできたら嬉しいです。 


プロフィール
世界2周目の旅行人:大谷 浩則
ツイッターアカウント:@taniwheelie 
ブログ 「ウィーリー 世界旅 ~好奇心の赴くままに~」:http://ameblo.jp/hero23/  
Facebookページ 旅ライフ~My journey life~ :https://www.facebook.com/onlymyJourneylife  

「"ノリと直感"での決断~インドでの9ヶ月間フリーペーパー制作のインターン」1229同志社大学長屋さん写真.jpg

長屋智揮(同志社大学政策学部4年)


■「ノリと直感だけが友達さ」~それいけ、インド!
 「これ、めっちゃワクワクする!」動機は安易であった。

 道の真ん中を悠々と歩く牛の群れ、道ばたに倒れる物乞いの老婆、こどもの遺体をそのまま流すガンジス川。1昨年の大学3年の8月、初めて日本を飛び出し、あふれる好奇心とともに10日間インドを一人旅していた。日本とあまりにかけ離れた環境に、見るもの全てが衝撃的であった。
 「この国で、インド人にもまれながら、もっと刺激的なことがしたい!」そんな想い共に日本に帰国した。帰国後、運命的なご縁があった。「インドでフリーペーパー事業/インターン生募集」。たまたま目に入ったtwitterのツイートに全身が熱くなった。「これ俺のためにあるやん!!」気づけばそこの社長にコンタクトを取っていた。社長とスカイプで話した後、休学して現地で9ヶ月間インターンをすることが決まった。「ワクワク」とした気持ちに歯止めがかからなかった。


■「君の言っていることが理解できない。」~英語を理解されず、相手にされない日々
 まだ厳しい寒さの残る2月、インドのバンガロールへと渡った。私のミッションは、日本人駐在員向けに配布するフリーペーパーの広告営業とその制作であった。そのフリーペーパーのコンテンツは、現地のビジネスや生活情報(レストラン・ホテル等)であった。私がその会社でインターンをし始めた際はまだ事業が立ち上がったばかりで、フリーペーパーというよりは、たった30ページほどの小冊子であった。

 具体的な仕事内容は、現地の会社やレストラン、ホテル等への飛び込み、またはテレアポ営業で広告掲載の契約を取ってくるというものであった。「ここに広告を掲載することによって、これだけのメリットがあって・・」と営業を行う相手はもちろんインド人の経営者ばかりで、全て英語で行わなければならない。営業を始めたばかりの時は、インド独特の英語や表現がほとんど理解できなかった。電話では英語が全く通じず、「Sorry..?Pardon..? I can't get you..(君の言ってることが理解できない)」と言われ、怪訝そうに電話を切られたことも何度もあった。

 さらに、営業先をリストにして一つ一つ管理していくことができずに、仕事がうまく回せず成果が出ない日々が続いた。営業目標とのギャップ、プレッシャーに胃が痛くなりながらも毎日必死に戦っていた。先が見えない中、仕事をはじめて3ヶ月が過ぎた頃から、"インド英語"にも慣れ、ようやく安定して契約を獲得することができるようになってきた。インターン9ヶ月を迎える頃には60社ほどのクライアントを担当するまでになっていた。


■「大型案件がドタキャンされた!」~雨のように振ってくるピンチの数々
 インターンとして最後のフリーペーパー発行の際には、私は制作に関する編集やデザインの大部分を任せてもらえるまでになっていた。制作の仕事は、現地の印刷会社にこもり、インド人アドデザイナーと仕事をした。具体的には、広告のデザインを議論し、イラストレーターを使用して、クライアントのデザインを制作するという仕事だ。大きな裁量権を持ち、その分大きな責任も伴ったが、非常にやりがいを感じていた。しかし、実際に制作を進めていくと、全くうまく行かなかった。

 クライアントから広告用のデザインが送られてこなかったり、音信不通になったりとなかなか前に進まない。挙げ句の果てには、コミュニケーション・ミスによって大きな契約を結んでいたクライアントから契約を破棄され、発行直前にページ構成を大きく変えなければならなくなった。他にもインクのクオリティが悪く、印刷会社と揉めたり、日本語に対応していないPCで文字が化けたりと、数えきれないほどの困難があった。しかし、それらを乗り越え、完成したフリーペーパーを手に取った時は感動で涙が出そうになった。


■ピンチを乗り越えた先にある、仕事の「やりがい」
 振り返ってみれば、数多くの困難があったものの、ここまで続けてこれたのは、やはり大きな「やりがい」があったからだ。大きく分けると、それは三つある。

 一つ目は、自分の行動によって事業が成長していくのをありありと感じられることだ。最初は30ページ程であったフリーペーパーも、インターンが終わる頃には倍の64ページまで増やすことができた。また、隣町のチェンナイでも新しいフリーペーパーを創刊することができ、事業が成長し、拡大していくことに大きな喜びを感じた。

 二つ目は、手に取ってくれた日本人駐在員が非常に喜んでくれたことだ。「フリーペーパーに載ってた店、行ってみたよ。おいしかった」と、自分たちが提供した情報によって、駐在員の皆さんに価値が提供できた時は大きなやりがいを感じた。

 三つ目は、広告を出稿してくれたクライアントが喜んでくれたことだ。あるカバン屋が、「広告を載せてから多くの日本人が店に来るようになった」と言ってくれ、とても感謝された時には何にも代え難い喜びを感じた。


■結局、休学を決めたのは"ノリと直感"
 私は、論理で突き詰めて考えるより、自分の直感を信じてノリで決断するタイプだ(笑)。インドに行ったのも、そこでインターンをするために休学したのも、単に「ワクワクした」という自分の心の声に従った結果であると思っている。逆に論理で突き詰めて、インドに9ヶ月間行くかどうかを考えれば、恐らくそれに縛られて「デメリットが多いのでインドには行かない」という決断をしていたかもしれない。心から「ワクワクする」世界が目の前に広がれば、そこに飛び込む論理的な理由なんて後付けでもいいと思っている。ぜひ、これを読んでいる皆さんも「ワクワクすること」に飛び込んでみてはどうだろうか?気づけば、決断が「正解」であったと実感することができると思う。


※ご質問やご意見がございましたら、お気軽に私のFacebookまでご連絡下さい。

プロフィール
長屋智揮
同志社大学政策学部4年 1991年11月30日生まれ。
Facebook:Tomoki Nagaya

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