代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「 過去の自分と断ち切るため、ソフトテニスで世界一周を!」田中さん写真.jpg


田中 隆彬
武蔵大学経済学部 4年次休学中@世界一周中

世界一周のきっかけは、失恋と吃音(きつおん)の過去を断ち切るため
 僕は都内にある大学に通っている、どちらかと言うと大人しく控えめな大学生だ。そんな何処にでもいそうな僕は昨年の後期から僕の中にある歯車が狂い始めた。留学中の彼女に振られた僕は大学に行かなくなり、吃音持ちの僕は克服するため練習したが結局は怖くなり就職活動からも逃げ出した。そして、いつまでも閉鎖的な自分に嫌気がさし、日本にいて何も行動出来ないならと過去を断ち切れるか白黒はっきりさせるために海の向こう側に飛び立つ事を決意した。

 上にも記したが、僕は吃音症で上手く言葉が出てこない。吃音とは言葉に詰まって同じ音を何度も連発することや、次の音が出てこないがために流暢に発声できない病気だ。幸いにも僕は障害手帳を貰う程の重度のものではないが何気ない会話でも何度も聞き直されることはざらにあり、一時期は人と会う事を拒んだ時期もあったが、行動しないで後悔するなら行動して後悔したほうがマシだと考え、全学部内で最も厳しいゼミに所属し練習を積み重ねてきた。その結果、大学内で行われたプレゼンコンテストでは優勝し、それは僕にとって大きな自信に繋がった。

 だが、完璧に克服した訳ではない上に、異なる言語を使うとなると自信よりも不安が上回ったため、他に自分の武器になるものを旅に持って行くべきだと判断した。それは幼い時からしているテニス、それもソフトテニスを通して会話以外の方法でも人と関わろうと挑んでみることにした。


6月11日付の英語版 「迷ったら前に出る!小さなことから"何でもやってみる"の精神で取り組む。国際社会で人間力を養う。」(川野 晃太、 LiDS 代表)"A gap year adventure of mine " Kota Kawano,LiDS representative ※Japanese followed by English新 川野さん写真.jpg


"Let it go of yourself if you get lost! Try, try and try anything starting from small things! Obtain " human power" in the international society."

− a gap year adventure of mine -


■ギャップイヤー期間

2013年4月1日~2014年3月31日

■期間滞在場所

2013年4月~8月 東京
2013年8月~2014年3月 ドイツ(ハンブルク、ラオフ、etc)
2014年3月 東京、宮城県石巻市


■ Period of gap year

1st April 2013 to 31st March 2014

■ Places I've stayed in

April to August 2013 Tokyo
August to March 2014 Hamburg, Frankfurt, Lauf,,,etc. , Germany
March 2014 Tokyo, Ishinomaki in Miyagi


はじめに
私は地元中学を卒業と同時に三重県の国立高等専門学校に入学し電気電子工学 を学んだ。親元を離れて寮生活をしながら、一端のエンジニアを目指していたが変 化の少ない生活に疑問を抱いていた。平凡な学生生活を送る中で、学内に掲示され ていた、アメリカへの短期学生派遣に応募し、参加したことをきっかけに海外に興 味を持つようになり、翌年最初のギャップイヤーとも言える1年間のイギリス留学 を行った。目標であったスコアに現れない英語力の取得と現地学生の家庭教師を行 うことに成功した。この時の経験からビジョンを描き、それに向けて達成するとい うプロセスを自然に出来るようになったと自負している。

帰国後、シンガポールでの技術英語研修を経て、メキシコでの専門分野での国 際学会、タイでの国際シンポジウムに学校を代表して参加させて頂いた。そして私 の人生に大きな影響を与えたベトナムでの海外インターンシップに参加後、希望であったグローバルに拠点を置き、ビジネスを展開する製造業メーカに就職した。そして入社前に一年間休職して行う社内研修プログラムを利用し、二度目のギャップ イヤーを日本そしてドイツで行った。帰国後、国内でメンバーを集め、現在の活動 団体を発足し、第一回目のイベントに向けて奔走している。

現在までに、アメリカ、ドイツの他、色んなご縁が有り海外19カ国を訪れてい る。

Introduction

After graduation from a local middle school when I was 15, I decided to leave my hometown to study electrical and electronic engineering at Suzuka National College of Technology in Mie. I lived in the hall of the residence apart from my parents. Although I aimed to be an engineer, I've questioned myself of my daily life.

One day, I found a notice to participate in a short study trip in USA and I decided to join that program. That was a trigger for my interest towards going abroad. A year later, I did my first gap year in the UK and I managed to obtain English communication skills. Also, I got the chance to achieve my objective there to teach the local students as a tutor. That experience made me think of the new ability to create the vision and achieve the process naturally.

After returning to college and experiencing a technical English course in Temasek Polytechnic, Singapore, I participated in an international conference for my major and made a presentation in Mexico. Next, I joined an international symposium in Thailand on behalf of my college. Also, I was employed by a manufacturing company which planned to expand their business globally after completing my overseas internship in Vietnam which had a major impact on my life.

Besides that, I've decided to utilize my company's in-company training program which was carried out with duration of a year's leave of absence before joining the company. It was carried out in Germany and Japan. This was the second gap gap year I took. After returning home, I've managed to recruit members in Japan, and launched my private organization called LiDS.

In addition to the United States and Germany, I have visited 19 countries around the world so far.


人との「ギャップ」を恐れるな! 青野さん.JPG

青野友香
青年海外協力隊フィリピン派遣

覚醒
 私が生まれて初めて海外に行ったのは、17歳の時でした。高校の交換留学プログラムに参加し、アメリカのメリーランド州で1週間ホームステイをして、現地の高校に通いました。自分では「英語は得意だ」と思っていたにも関わらず、実際アメリカに行ってみると聞き取れず、しゃべれず、理解できず・・・大きなショックを受けました。さらに、アメリカ人の自由さや発言力に圧倒され、アメリカ人の前に立たされると何も出来ない自分に対しても情けなさを感じました。
帰国して受験勉強を始めてみたものの、果たしてこのまま日本で大学に進学して、アメリカ人と渡り合える程の英語力や発言力が身に付くのか?という疑問が常に頭の中にありました。そして、恐れを知らない17歳の私は、日本の大学を受験することを辞めて、アメリカの大学に進学するという決断をしたのです。


「これから青年海外協力隊を目指す学生たちへ」プロフィール写真・宮﨑大輔.JPGのサムネール画像


宮﨑大輔 
青年海外協力隊パナマ共和国派遣

 「青年海外協力隊には、社会人経験がないと参加できない」と勘違いをされている方も多いですが、実際には大学を卒業したばかりの新卒や大学院を休学して参加する学生も多くいます。そのため、新卒や休学して参加した隊員にとっては「青年海外協力隊は2年間のギャップイヤー」ともいえるでしょう。

 私も大学院を卒業後に新卒で青年海外協力隊に参加し、すでに派遣されてからおよそ一年が経ちました。実は私の協力隊生活は「いきなり上司からクビ宣告を受ける」という波乱万丈なスタートとなりましたが、なんとかクビにされる危機を乗り越えることができ、現在も活動を続けています。

 「なぜ、私はクビにされる危機を乗り越えることができたのでしょうか?」その理由を振り返ると、私を支えてくれた原体験はすべて大学生活にあることに気がつきました。そこで大学入学までさかのぼって、過去のジブンに「今だから伝えられるメッセージ」を送りたいと思います。このメッセージが、これから青年海外協力隊を目指す学生の皆さんの参考にもなれば幸いです。


「 格好悪くてもいいじゃないか。それでも前に進み続けるたった1つのコツ」内藤さん写真.JPG

内藤俊輔
青年海外協力隊/ルワンダ派遣

 最初に,自分はまだまだ夢の途中。いえ恐らく死ぬまで夢の途中です。
そして,現在僕は決して何かを成し遂げた偉人では無く,学歴も能力も全て凡人レベルです。

 そんな僕は現在青年海外協力隊として,東アフリカのルワンダという国でルワンダでは主にお土産屋を営む人達のサポートを約一年間させて貰っています。

 簡単に僕の経歴を書きますと,青森で生まれ,転勤族だったために埼玉や広島などで幼少期を過ごす。大学時代はバンドに明け暮れ,マーケティング会社に約5年間勤め,退社。そして今。


人生の転機は父の死
 僕は中学生時代,これまた平凡な生徒でした。特に不良だった訳でもなく,優等生でもありませんでした。そんな中,父が癌により他界。転機は無口で比較的厳格だった父が、亡くなる年の誕生日会を自宅で行った際に流した涙を見た時でした。

 勿論,父の涙を見るのは初めてでしたし,何故泣いていたのかの真相は分かりませんが,何となく自分には後悔というか,志半ばで亡くなってしまうことに対する悔しさを感じとりました。

 その日から自分には,「父の無念の分,自分が悔いの無い様に生きよう」と心に誓いました。これが今の僕の信念の根底部分になります。

とにかく,やってみる
 タイトルに書いた,前に進み続けるコツはこれに尽きます。「とにかく,やってみる」。簡単なようで難しい。でも一度勇気を出せば決して難しいことではありません。こう考えてみましょう。ありきたりですが,もし自分が明日死んでしまうとする。すると,明日何かをやらないという事は死んでいても出来るけど,明日何かをやる事は出来ないですよね?つまり生きている人の特権は,「やってみる事」だと思います。


もっとも苦手な英語と初めての海外経験
 僕は英語が大の苦手です。今でこそ英語圏の国に住んでいますが,社会人時代,アフリカに行こうと決めた時には「How are you?」にも返答出来ないくらいのレベル。

 更には海外経験も殆どありませんでした。アジアに旅行程度はしたことがありましたが,ツアー会社経由ですから英語なんて使う必要がありませんでした。しかし,アフリカや国際問題を解決していくためには英語は不可欠ですし,海外経験にビビっていては始まりません。JICA規定のTOEIC最低スコアにも届かなかった自分ですが,面接で幸いにも熱意が伝わったのか,今こうしてルワンダに青年海外協力隊として活動をしています。


100年経っても実現しないかもしれない夢だけど
 「夢は実現させなければ意味がない!」という格言は良くありますが,僕は反対です。と言ってもやらない訳ではなく,実現するしないに関わらず,やりたいのであればやり続けることが大切だと思っています。

 僕の大きな夢は,「世界が本当の意味で幸せになること」です。幸せの意味は人それぞれですが,お金だけでは無いことは確かです。そのためにはやはり我々先進国と呼ばれている国の人達が,貧困などで苦しんでいる人達をサポートすることは不可欠だと思っています。現在の資本主義経済やグローバル化の大幅な見直しも必要なのかもしれません。そして人間だけでなく、地球に住む全ての生物に対しても本気で向き合わなければいけません。

 それを出来る出来ないという物差しだけで考えていては,いつまでたっても解決出来ません。だから僕はとにかく夢を実現するために思いついたことをやっていき続けようと思います。そして何よりも自分を助けてくれる人達への感謝の気持ちを忘れてはいけません。

 ある程度成功しない限り,社会のレールと言われるものに乗っていなければ,周りからは良い目で見られない、あるいは白い目で見られることもあるかもしれません。でも,格好悪くたっていいじゃないですか。失敗しまくったって死にはしません。夢に噓ついて生きるよりよっぽど生き心地がよいものです。

Happiness depends upon ourselves. (幸せかどうかは、自分次第である)
By Aristotle (アリストテレス)


 最後まで読んで下さった方,本当にありがとうございます!そして,お互い頑張りましょう!


プロフィール
内藤俊輔
1986年青森生まれ。
中学時代に父を亡くし母子家庭で育つ。マーケティング会社に約5年勤めた後,平成24年度4次隊として青年海外協力隊でルワンダに派遣。

Blog:ルワンダから観た世界〜内藤俊輔BOOK〜(http://ameblo.jp/naikel0311/
Twitter:@Naiting_s
Facebook:https://www.facebook.com/naitobook
E-mail:naikel0311@gmail.com

お問い合わせはお気軽にメールやSNSに頂ければと思います。

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