代表ブログフロンティア・フォーラム

日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、
多種才々なイノベーター達のエッセイ集

「3.11に想う~一人で夢みる夢はただの夢、一緒に夢みる夢は現実となる」311徐延豪(Seo Yeonho)写真.jpg

徐延豪∙Seo Yeonho
(明治大学在学中。きずなInternational 初代代表 ※韓国からの留学生)


韓国での兵役で考えたこと~逆境に立ち向かおう!
 韓国で2年間の兵役に就いている時、私は、先任の兵からの暴力や上への絶対服従等の不公平な兵役を経験しました。また、除隊後は、あるNPO法人を通じて支援していたベトナムの子供からの手紙によって、私の国とは全く違う世界があることを知りました。これらの経験から、「弱い立場にいる人々のために自分は何ができるのか、そして自分らしい生き方は何なのか」を考えるようになりました。 以後、 私と同じ人間の痛みを感じて一緒に泣いてあげることができる心を持った人、そして、本気で他人の痛みを和らげてあげることができる熱い心を持った人になりたいと思うようになりました。

 「力のある者と共に甘く生きて自然死するのか。それとも力のない者と共に逆境に立ち向かい壮烈に戦死するのか」という答えを見つけるためには、まず世界共通語である英語を学び、世の中に対する見方を広げる必要があると判断しました。自国の大学を中退し、ギャップイヤーとして、人生において初めて強い想いを持ってカナダという見知らぬ世界に行くことを決意しました。1年余りのカナダへの留学を通じて、英語力の向上はもちろん、世界を飛び回るなど経験が豊富な多国籍の友達や先生の話から発展途上国に興味を深く持つことになりました。


日本との出会い、そして15ヶ国180人の仲間が・・・
 それから多くの日本人との付き合いから影響されたのだけでなく、開発援助において韓国のロールモデルである日本で勉強したくなり、日本に来ました。日本語学校でひらがなも知らないゼロの状態で1年間集中して日本語を勉強し、今の明治大学に入学しました。しかし、大学2年次にアメリカでインターンシップを終えて、日本に戻ってきたら東日本大震災が起きました。

「自分には何が出来るのだろう?」

 東日本大震災以降、日本に住む一人の人間として、震災の被害を受けた人々の気持ちを少しでも共感したいと感じました。涙を流し、被災者の無事を祈るより、直接行動に移し、被災地の復興に少しでも力になりたいと思いました。2011年5月、私は大学の外国人教員と「頑張れ東北Project」というボランティア・プロジェクトを立ち上げました。


多様な価値感を互いに尊重する"きずなInternational"の今
 2011年6月から始まったこのプロジェクトは、これまで14回の現地活動と様々なイベントを通じて、プロジェクトの名が他学部そして他大学まで知られるようになり、現在15ヶ国から180人くらいのメンバーが集まっています。メンバーが増えるに連れ、ちゃんとした組織にしたほうがいいのではないかという声が高まり、「きずなInternational」という組織が誕生しました。

  実は、この活動に、さらに尽力したのはある事件がきっかけになりました。2011年10月、生活用品を配るために福島県南相馬市の仮設住宅に訪ねた時、突然雨が降り始めました。放射能雨だと思い、安全な所に逃げ込もうとした瞬間、私の目に映ったのは降りしきる雨も気にせず、物を運び続けた子供たちでした。単なる雨が怖くて逃げるやつがこれから社会、そして世界に出て何が出来るだろうと悟りました。その経験から東京に戻ってきてから私は被災地の復興の力になるために自ら立ち上げたボランティア・プロジェクトにさらに力を入れるようになりました。

 呼びかけには様々な国の人々が集まりましたが、価値観や考え方が違うため、リーダーとしてメンバーをまとめるのは簡単ではありませんでした。しかし、自分の文化と他の文化をありのまま受け止める柔軟な姿勢を取り、メンバーで定期的に集まる機会を設け、お互いを理解し合いました。結果として、全員で協力してボランティアに取り組むことが出来たのはもちろん、日本という場所で多国籍のメンバーの中、国籍を超えた人間同士の絆を築き上げることができました。

 ある日、ボランティア活動中、一人のメンバーが私にこう言ってくれました。
「最初はただ友達を作りたくて、それだけで、僕は皆さんについてきました。今考えると恥ずかしいです。今まで大事なことから逃げていました。こんな過酷な環境なのに、東京で暮らす僕と同じように、人が普通に暮らしている。生きることは素晴らしいことですね。ここに来て逆に私が助けてもらっています。ここに来て本当に良かったです。」

 この経験から、信念さえあれば自らの力で人生が切り開け、国籍、人種、性別、年齢を問わず互いに助け合い、より明るい未来を切り開けることが可能であると思いました。

 「一人で夢みる夢はただの夢、一緒に夢みる夢は現実となる」私が常に心に留めている言葉です。そして、これからは社会でこの言葉を実現させていきます。


Profile
徐延豪(Seo Yeonho)
Facebook: https://www.facebook.com/dustin.seo
e-mail: syh1255@naver.com

「ギャップイヤー~自分に"やすり"をかける時間」


木許裕介 Yusuke KIMOTO
(東京大学教養学部4年)


 僕が大学で休学を経験したのは、震災直後の2011年の4月からの1年で、「ギャップイヤー」という言葉が日本に広まり始める直前のことでした。ただでさえ浪人しているのにさらに休学をする、というと色々な方々に心配もされましたが、二人の師との出会いから、今この時間を取らないと一生後悔するだろうという予感に突き動かされて休学を決意しました。

 そして1年間の間に、指揮者・村方千之先生のもとで集中的に指揮を習い、ベートーヴェンの交響曲を一番から順にじっくりと教わる日々を過ごすことになりました。どのレッスンも忘れ難いものでしたが、とりわけ第三番「英雄」を教わった時のことは強烈に記憶に焼き付いています。87歳の師の身体から物凄い気迫と生命力が湧き上がり、棒の一閃で音楽が劇的に姿を変えて行く!指揮という芸術の凄みに絶句するほかありませんでした。

「なぜ旅をするのだろうか。なぜ僕は旅に出たのだろうか~1年間のアジア、アフリカ放浪を終えて」0306j青木伴晃さんgap エッセイ用写真.jpg


青木伴晃
(筑波大学国際総合学類3年休学中) 

■So......Why wander?
 「なぜ旅をするのか?」この問いは常につきまとっていた。日本を出るまでにいろいろなプロセスを経た僕にとってこの問題は常にあったし、それに海外で新しく知り合う人には必ずと言っていいほど聞かれた質問でもあった。「一体全体なんで君みたいのがこんなところにいるのか」、「何のために旅をしているのか」そんなことを言われ続けてきた。大学を1年間休学して旅に出ることを決断した時、自分の中にはそもそもシンプルな感情があった。

 「世界を見てこよう」それだけだった。そんなシンプルな感情が自分を資金集めに駆り立てていた。何よりそうして僕は日本を無事に出発することができ、アジア、アフリカを中心とする12カ国を1年間めいっぱい旅をすることができたわけだ。日本では1年間大学を休学して旅に出るなんていう人は大勢いる。今しかできないと思うことに一生懸命に取り組むことは素敵だし、それに何より自分自身がその真っ只中にいた。でも、それでもいつだって付きまとっていた。

「なぜ旅をしているのか」

そしてそんな質問は自分が自分自身に対して、ずっと語りかけてきたものでもあった。


「僕のギャップイヤー~何も見えなかったからこそ、見つけられたことがある」2013年2月 青山学院大学.jpg

高橋 健輔(青山学院大学)


 「母さん、休学してみたいんだけど!」
「いいんじゃない?やっちゃいなよ!」

 こうして僕のギャップイヤー(僕の場合は、休学の形態)が始まった。
僕の生活は、それまで何の不自由もなく満ち足りていた。

 しかし、安定しきった生活の中で、「このままじゃダメだ。何がかは分からないけど、何かがダメなんだ」と考えていた。「じゃあ、どうする?」に対して答えが見つからなかった。

 そんな日々の中で友だちがインドに一人旅に行ったという話を聞いた。今思えばこれが僕がギャップイヤーを取るきっかけだったと思う。その時は、「なんでそんなことするんだ?」って感じだった。けれど、色々調べてくうちに、長期休みを使って、海外に出てる学生が多いことを知った。ましてや、学生なのに休学をして、世界一周なんてクレイジーなことをしてる奴までいることを知った。僕は不覚にも「カッッッケェェーーー」と思ってしまった。

 同世代で、知りたいことを知って、凄いものを見て、やりたいことをして、色んなことにチャレンジしている奴らがいる。休学した後はどうなるとかそんなことはもうどうでもよくて、とりあえずやってみる!今はなにがダメか見つからないけど、今何もしないよりはマシ!そう思って親の快諾もあり(笑)、休学届を学務グループに出してしまった。まずこれが一つ目の"とりあえずやってみる"になった。


「私がバングラデシュで挑んだこと ~ この国の若者に"機会"を作る!」1加藤さんprofile_photo.jpg

加藤遥平/ Yohei Kato
(筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類5年)


思い続けた計画
 2ヶ月ぶり6回目となるバングラデシュに降り立ったのは、2013年1月18日。
初めて、この国に来てから2年間、通い続けたのには理由がありました。
この国で情熱を持って挑戦し続ける人々のようになりたい、
口だけでなく行動を起こせる人になりたい、そう思っていました。

そんな私が思い続けた挑戦はバングラデシュでビジネスコンテスト(以下ビジコン)を開くことでした。目的は優秀な人材の流出に悩む農村と、都市で増加する若年失業者、この2つの問題を解決することです。具体的にはビジコンを通じて、若者とバングラデシュで活躍する起業家をつなぐ起業家コミュニティをつくり、長期的には若者の農村での起業支援を目指すことです。今回はビジコンが継続されるよう、SWITCH! (*1)という社会変革のための若者のプラットフォーム作りに取り組む団体のプロジェクト1つとして取り組みました。


戻る 16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26

記事一覧

フロンティア・フォーラムトップページへ戻る

アーカイブ